発明とは人知を超えたインスピレーションによってなされる物ではない。人間が作り出すものが人間の能力を超えたものであるはずがない。
無から有は生み出せないのが道理であるから、画期的な発明品も結局は既存のモノの組み合わせに過ぎません。
自動車とか飛行機のアイディアだけなら1000年以上前からあったであろう。
しかし実際にその発明を可能にしたのは内燃機関という技術に他ならない。
技術力によるPossibilityが新たなアイディアを生み、発明を可能にするのです。
ITの分野において日本はインフラが整っているにも関らず、YouTubeのような画期的なサイトが生まれなかったのは根本的に技術力が足りないせいだと思いますヨ。
コメント(9)
1:てきとう:2008年01月22日 20:02パーティーしないと。できるだけ多様な人を集めて
…って日本語で日本人だけでやっても限界があるんですが
技術をどう交換しあうかで明日の発明が決まる
飛行機の場合はアイデア+技術が発明って言うことだろ。
車の両輪みたいなものでどっちかが欠ければ存在しない。
そういう意味では両者は等価値だ。
箱男殿が例に挙げた飛行機は、「発想が先にあって技術が後」に来ている。
だから決め手になったのは技術だといいたいのだろうが、逆の場合だってある。
例えば気球なんかは「技術が先で発想は後」の発明の好例ではないだろうか。
布袋、膠による気密処理、油、炉、籠、綱、これらを生産する技術は紀元前にすでに存在していた。
だから紀元前に気球が飛んでいてもおかしくはなかった。
しかし実際に気球が空を飛んだのは1709年のことだ。
バーソロミュー・ローレンツォ・グスマンという宣教師が、天へ立ち上る煙を見て「煙を袋につめたら空飛べるんじゃね?」と考えて実験を行い、無人ではあったが4度の飛行実験を成功させた。
ちなみに最初の有人飛行は1783年モンゴルフィエ兄弟によって成し遂げられている。
滞空時間は8分間。燃料は驚くなかれ藁だったそうな。古代社会でも十分達成可能な事業だったが実際に成し遂げられたのは中世だ。発想したものがいなかったからだ。
上記の事実は、インスピレーションあるいはアイデアが技術と同じ重さのファクターであると語っているように思えるのだが……。
「仮に発明と進化を並べて考えてみる」と、そのどちらにも
“合理的に現れるべくして現れるモノ”と、“何の脈絡も無く、
唐突に出現するモノ”とが混在しているように思えるし。
そしてそれらが相互に融合と淘汰の歴史を経た後に、
「現代」があるような気がしますが…。
で、ボクは発明の必須アイテムとして「意志とアッハ体験」
の重要性を捨て難いス。
ありゃ。
やっぱ、アクセスしてからレス打つまでに時間かけちゃうと
駄目だなぁ…orz へぼレスこいちまったwww
気球の原理はモンゴル帝国の時代に中国人が実用化していたらしいが・・・
紀元前に技術があったといっても全部を同時に使える人がいただろうか?
有人飛行を成功させるには紀元前の技術では難しかっただろう・・・
モンゴル帝国というと12世紀ごろになるのか。そんな時期に実用化してたのか。知らなかった。ダヴィンチのノートにアイデアがあったのは知っていたが、東洋でそれより早く実用化されていたとは驚きではある。
とはいえそれでも基盤になる材料の発生からはかなりの時間が流れている。
ヨーロッパ、北アフリカ、中東にローマ帝国が版図を広げたのが二世紀ごろだから、気球の材料を同時に手に入れることのできる地域はその時代かなり広範囲にわたっていた。
貿易によって品物はかなりのスピードで伝播するからだ。一手に手に入れることのできる人間も相当な数いただろう。
有人飛行は難しかったかもしれんが発想の一押しさえあれば気球の誕生はもう少し早くてもよかったはずだ。
その「一押し」って、あるいは『需要』ではないだろうか?
8:厨尉:2008年01月26日 19:26いい質問だ。(この言い回しはたいていの場合『ナイスパス』と同義だからそのへん注意)
必要は発明の母と呼ばれてきたが、現実は必ずしもそれには当てはまらない。
もちろん現代に於いて『需要』が研究開発への投資を促しそれが多くの発明の基盤となっていることは否めないが、発明品は『偶然に後押しされた発想』によって発生していることも多いのだ。
『需要』に促された確固たる意思、自然科学への造詣、それなりの予算と明確な方向性をもって生みだされた発明品が大勢を占めるのは恐らく近代以降のことだ。
需要が発明をもたらすとは限らない例をひとつ挙げよう。
たとえばパイ皮だ。
当たり前の話だが、パイ皮を実際に誰かが創り出すまでは「あーパイ喰いてえ」と言い出すやつはいなかった。つまり『需要』はなかった。
当然パイ皮の発明から派生する品々、ロッテ「パイの実」もなかったしスズキのパイ包み焼きなる料理法も存在しなかった。
フランスの片田舎で名も伝わっていないパティシェがパンを焼く際にバターを入れ忘れるまでは、そして入れ忘れたバターを伸ばしたパン生地に多層に混ぜ込むまでは、誰もパイ皮を生産するための予算も組まなかったし、多層に混ぜ込まれたバターがいかにして生地を膨張させ変化させるのかについての科学的知識も存在しなかった。
パイ生地を生み出したのは名もなきパティシェの一時のうっかりとそれを補う試行だった。一旦送信。「
連投失礼。
有名なところではペニシリンの発明も需要ではなく偶然が生んだものとして挙げることができよう。
アレキサンダー・フレミングという名のスコットランド出身の科学者は細菌を殺す薬を造ろうとしていたわけではなく、ブドウ球菌の培地に「偶然」他の菌の繫殖を抑える作用のある物質を発見したのだ。
火薬についても然りだ。ちょっと考えれば火薬は軍事需要が生んだ最大の発明のような気もするが、実際は中国の錬金術師が仙薬を作ろうとして偶然発見した副産物に過ぎなかった。
ちなみに硫酸や塩酸は錬金術の研究の過程で産まれた化学物質らしい。
少々話しがずれたが発明の原動力となるものは結局のところ技術力と発想力なのではないだろうか。無論『需要』も「第三の輪」だろうし、偶然から学び実益を掴み取る力すなわちセレンディピティも無視できない第四の輪であろう。
それと忘れてはならない輪がもうひとつ。言うまでもあるまい予算である。