にじ魂>カテゴリー

哲学

我思う、故に我あり
  1. 無知は勤勉の証し
  2. 哲学とは何か?
  3. Time Is Life 時は命なり
  4. 『女=悪 の証明』への反証
  5. 人間は、死なない
  6. 何事にも例外がある
  7. 本当に自由意志なのか?
  8. Might is Right は正しくない
  9. 善人の罪
  10. 正義とは何か?
  11. 文字だけでは伝わらない
  12. 無知の知と自己の不完全性
  13. 英雄の条件

無知は勤勉の証し

ダラダラとネット見てるだけで無駄な知識は増えていくよね。無駄知識と引き換えに膨大な時間を無駄にしてるわけだが・・・
真面目に仕事してる人より俺の方がよっぽど博識だヨ・・・俺はそれをとても恥ずかしく思うwww

知識を得るには時間がかかる。暇で余裕のある人しか知識人になれない。
古代の哲学者なんてニートばっかりですからね。哲学なんて暇人のやる事ですwww

レバレッジ勉強法」って本に「年収アップしたければ働くより勉強しろ」って書いてあった。
警察官なんかも仕事サボって試験勉強している奴の方が出世する。
勉強家は仕事に対して誠実で勤勉と言うわけではないのです。むしろ働きたくないから勉強しているのです。

知識がある事は必ずしも美徳とは言えない。共産主義国家で知識人が目の敵にされたのも理解できる。
無知は恥ではなく、むしろ勤勉な証拠ではないでしょうか。。。

2008年08月23日 12:19|コメント10

哲学とは何か?

哲学とは一言で言うと「真理の探究」であろう。「わからない事」についてあれこれ考えるのが哲学。
だが皮肉な事に哲学者が追い求める真理が「絶対に正しい」と証明されてしまうとそれは哲学ではなくなってしまう。証明された時点で科学になってしまうのだ。

科学が未発達だった古代においては宇宙や生命の神秘について説明するのはもっぱら哲学者の役割だった。
しかし現代ではそれらは科学に取って代られているので哲学者の出る幕はない。
哲学とは科学が解明できていない事柄について考える事・・・!
要するに全てが妄想であり仮説に過ぎないのだ。それ故に哲学は疑似科学的、疑似宗教的である。

本田透さんなどは「哲学は終った」と言っている。「神は死んだ」のと同じように・・・
科学が十分なレベルにまで発達した今、人間の苦悩を解決するのは哲学ではなく、科学であると・・・。だから彼は早稲田の哲学科を中退して人間科学部に進んだ。
実際イデア論なんかは哲学より脳科学で検証した方がより真理に近づけそうだもんな・・・

哲学は非科学であるがゆえにトンデモ仮説を多数含んでいる。だが反証可能性が求められる科学の常識に縛られないからこそ大胆な発想ができ、古代にビッグバンや原子論の原型を予見できた。
ハンパでない仮説力・・・実に素晴らしい!
哲学は斜陽ではあるが、科学が万能でない以上 完全には駆逐されず生き残り続けるだろう。

2008年07月16日 13:43|コメント6

Time Is Life 時は命なり

私たちが今日一日を生きたなら、その分一日寿命が縮んだ事になる。
人生は有限だ。生きていられる時間もまた有限。
時間を無駄にする事は、命を無駄にする事と同じ(T_T)

秋元康が「人はみな余命半年×n」だと言っていたが、余命数十年の残り時間こそが人生であり、この時間をいかに有効活用するかによって人生の成否が決まる。
無駄な時間ばかり過ごして終われば、無駄な命だったと言う事だ。


「お前が無駄に生きた今日は 誰かが生きたくても生きられなかった明日なんだ」

「あなたの人生は失敗しました。人生を終了しますか?


→はい
  いいえ


ただいま人生を終了しています.... 残り時間:数十年
その間、あなたの好きな人、好きな事、好きな物を見つけて
せいいっぱい生きてください」

「全てが美しい
全てが面白い
瞬間に感謝しなさい。この瞬間こそが人生なのだから」

こういうカッコイイ名言見るとガンバロって思うけど、思うだけw
今日もまた無駄な時間を過ごしてしまった・・・

2007年10月29日 13:15|コメント14

『女=悪 の証明』への反証

女=悪 の証明


女は時間と金がかかる(girls require time and money)ので
Girl = Time × Money ・・・(1)

時は金なり(Time is Money)という諺によると
Time = Money ・・・(2)

(2)を(1)に代入すると
Girl = Money × Money

ここで、金は諸悪の根源(money is the root of all evil)だから
Money = √(Evil)

したがって
Girl = √(Evil) × √(Evil) = Evil

女=悪 (証明終)

割と頻繁に目にするコピペだが、これは根本的に間違っている。
ネタ的には面白いし傑作であるが、こんなのを真に受けてマジで女性蔑視の根拠とする奴がいるから困り物w

数式を使って小難しく言ってるけど、これただの三段論法だしw
「芝刈り機を持っていないから、お前はホモだ」的な論理の飛躍がある。

女だけでなく、生きてるだけで時間もお金も使われる。じゃあ生きる事は悪なのか?って話ですよ。
「人間の性、悪なり!」の証明としては使えるかもしれないがね。。。

そもそも、女には時間も金もかからない。セックスするのにお金がかかるってだけ。
前提からして間違っているのだから当然結論も間違いだ。
金も時間も、男が自分で使っているのだし、金払ってまでセックスしようと思わせてしまう欲望、性欲こそが悪なのではないか?
では、男と女ではどっちが性欲強い?どっちが悪?言うまでもないでしょう。

女=悪』とは「すべての女は悪である」と言う事を意味する。
この命題を覆すには60億の人類の中にただ一人でも、「悪ではない」女性がいれば良い。
漫画『覚悟のススメ』で「人類=悪」と言うテーマを、正義の心を持つ主人公の存在によって否定したのと同じ構造・・・!
善良な女性なんて探せば幾らでもいるだろ・・・『女=悪 の証明』を鵜呑みにする奴は、よっぽど女運がないか、人生経験そのものが足りないのでは???

まぁ俺も昔は「女は金がかかる=諸悪の根源」的な考え方で女性差別しまくってましたぁwww サーセンwww
ルサンチマンの溜まっている底辺層は、こういう稚拙な差別主義に飛びつき易いもんなんですよ。感情的にね。
だからこそ、全力で否定してやる必要があるのだ!!!!

女が悪なら、男は巨悪です!何だかんだ言って世界全体が男社会ですからね。
この邪悪で凄惨な世界を作り上げたのは男。ならば男こそが「諸悪の根源」ではないか!!!

関連記事
女の人は、神様です
神の不在証明

2007年10月21日 12:41|コメント23

人間は、死なない

死は、誰にでも訪れる。人は死を恐れるが、生きている間は少なくとも死んではいないのだから、心配する必要はない。

死んだら意識がなくなるから、我々は自分が死んだ事を自分で証明できない。
人は死を実感する事はない。だから死を恐れるのは杞憂に過ぎない。

主観的には人は「死なない」のだ。
ホリエモンは「僕は死なない」と宣言して不老不死になるつもりでいたが、少なくとも彼が死ぬまでは「僕は死なない」と言い張っていても間違いではない。

人間は「死ぬ」のではなく、最後の最後の瞬間まで「生きている」のである。
「死後の世界」なんて存在しないから、人間は生きている間の事だけ考えれば良いのだ。

2007年04月09日 09:00|コメント21

何事にも例外がある

人間が作ったルールは、それを厳格に運用しようとすると自縄自縛状態になって行き詰ってしまう事がある。
その場合「ルールを守らなくても良いケース」と言うのを認めると上手くいくようになる。
例を挙げるなら「人殺しはいけない」というルール。これを絶対に守ろうとすると死刑制度も正当防衛も認められなくなってしまう。そうなると大変な不都合が生じるわけだ。
これに「悪人は殺しても良い」という特例を認めさえすれば問題は生じない。

言語による情報伝達には限界がある。それゆえに人間の作ったルールには常に伝達漏れ、「穴」が存在する。
その「穴」を埋める為には「例外」が必要だ。
例外を前提にしておけば、人は完全な論理を構築する為に言を尽くす必要がなくなり、精神的にも楽になる。

ゲーデルの不完全性定理では「無矛盾の理論体系のなかには肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する」とされている。
これはつまり「どんなモノにでも矛盾点が存在する」という意味なのではないだろうか?
その矛盾を解消するには例外を認める以外にない。そうしなければパラドックスに陥ってしまうのだから。
事実として嘘つきのパラドックスの解決方法には発言者を例外と看做す手法が用いられている。

ただし例外を認めることは、「ズル」「反則」を認めるのと同じであり、その命題の正しさを否定する事でもある。
例外を許容しなければ論理的に破綻してしまうし、例外を認めれば それはそれで論理的には破綻している。
これ自体が実にパラドックス的である。

2007年01月23日 10:43|コメント0

本当に自由意志なのか?

自由意志なんてあるのかな? 我々が考えている事は、本当に自分で考えた事なのか?

犬を使った条件反射の実験で有名なパブロフ博士によると、人間の「思考」もただの「反射」に過ぎないのだと言う。
普段とりとめもなく頭の中で考えているような事は、反射的なものだ。深く考えた結果ではない。
ネットで「脊髄反射レス」と呼ばれているような定型的な書き込みも、実際に脊髄反射的に何も考えずに書き込まれている。

思考が反射による産物ならば、自由意志の存在など疑わしい・・・
自由意志とは他人に影響されないオリジナルな発想である筈だ。
我々が「自分で考えた」と思っている事ても、実際には昔読んだ本に無意識に影響を受けていた、なんて事がしょっちゅうある。
そういうのは「自由意志」とはいえない。ただの「反射」だ。
全ての創作物が模倣に過ぎないのだとしたら、我々が自由意志だと信じているのも所詮は反射に過ぎないと言えるのではないか?

特に言葉による思考は独創性が低い。言葉は反復して覚えるものだから反射的な思考が多くなる。
大人よりカオスな子供の方が「自由意志」の度合いが大きいように見える。
人は大人になるにつれて飼い慣らされ、型にハメられていく過程でいつの間にか考えるのを止めてしまう。
人が本来自由であった事すら忘れてしまうのだ。
言葉や常識に縛られない自由なイマジネーションこそが、真の「自由意志」と呼べるのではないだろうか?

2006年12月14日 12:11|コメント7

Might is Right は正しくない

英語のことわざ"Might is Right"(力は正義なり)は「勝てば官軍」とも訳されるが,「勝てば官軍」には「勝敗と善悪は無関係」と言う意味が含まれているのに対し、"Might is Right"は「正義は必ず勝つ」「強者こそ正義である」と言う教えであり、「勝てば官軍」とは根本的に異なる。

"Might is Right"は一神教の発想だ。
一神教では強者には神のご加護があり、弱者は神の教えを破ったから罰が当たったのだと考える。
ユダヤ人がエジプトで奴隷にされた時もユダヤ人の指導者は「これは我々が神の教えに忠実ではなかったせいだ」と自分達を責めたし、イギリスがヴァイキングの侵略に晒されていた時もイギリス人の牧師は「ヴァイキングが強いのは神の後押しがあるからで、イギリスが弱いのは信仰が足りなかったからだ」という風に言っていた。

"Might is Right"の考え方の下では強者はますます増長し、弱者は自虐的になってしまう。
弱肉強食を正当化する論理であり、アメリカで社会的弱者への救済が積極的になされない理由の一つではないか?

Might is Rightは強者による暴力すら肯定しかねない危険思想だ。
アメリカが世界最強の軍事力を持ちたがるのも、力の強い自分達こそが正義なのだと思いたいからなのかもね・・・

2006年09月27日 09:14|コメント1

善人の罪

人間には逃れがたい「原罪」がある。どんなに善人ヅラしていようと、全ての人間は罪なくして生きられない。
聖書にもマグダラのマリアが姦通の罪で石打ち刑に処される所だったのをキリストが「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言って救ったと言う話が(作り話だが)残っている。
マグダラのマリアに石を投げようとした者の中で罪を犯していない者は誰一人いなかったのだ。

人間は他の動物の肉を食べる。これも一つの罪である。
肉食の文化はカニバリズムから生まれた。動物の肉を食べるのは人肉を食べるのと変わりがない。
牛さんも豚さんも鳥さんも皆可愛くて良い奴なのに・・・人間はそれを食べちまうんだ!俺も食うけど!!

確かに、動物達を直接殺したのは食肉加工業者かも知れないが、その肉を食べたのはあなただ。肉を食べなければ動物が殺される事もなかった。「動物殺し」の責任は肉を食べた人にこそある。

人は罪から逃れようとして別の罪を犯す生き物だ。罪に対して無自覚である事、それ自体が罪なのです。

何が罪かわかりますか。 知恵の実を口にしたからではありません。
何が罪かわかりますか。 蛇の甘言に耳を貸したからではありません。
まだ罪がわかりませんか。 それこそがあなたの罪なのです。

-Frederica Bernkastel- 『ひぐらしのなく頃に』より引用)

2006年09月22日 08:46|コメント25

正義とは何か?

時々何が正義なのか、分からなくなる。世の中に絶対確実な「正義」などないのではないか?
「絶対悪」と呼べる物は存在する。悪いことは悪い。だが「絶対正義」なんて表現はあまり聞かない。
「善」と「正義」は別物だ。「善」は何もしなくても「善」だが、「正義」には行動が伴う。では正義の行いとは何か?

「力なき正義は無力」と考えるならば<正義>とは「正しい力」、「正しい暴力」の事であろう。
しかし暴力はどこまで行っても暴力でしかない。これを「絶対悪」とするなら、「正義」とは必要悪であるという事にならないか?

歴史は勝者によって作られる。「勝てば官軍」で勝者は自分の暴力を正当化する為に敗者を貶める。
アメリカが東京裁判でありもしない虐殺を捏造してまで日本軍を断罪したのは、「日本を悪」に仕立てて原爆投下という史上最悪の蛮行を正当化する為だ。
正義は相対的なものだから、相手が極悪人ならばそれに対抗する自分は相対的に正義になれるのである。

こうして考えると正義と悪とは紙一重である事が分かる。薬も過ぎれば毒になるように、正義が相対的な物である以上、見方によっては正義も悪と変わらないのだ。

2006年08月20日 10:44|コメント5

文字だけでは伝わらない

言語、文字による情報伝達には限界があるんじゃないか、と思う。
メールなんかだと書き手の意図は相手に50%程度しか伝わらないらしいな。
残りの50%の内容は勘違いして伝わっていると言う事か・・・

文字だけでこちらの真意を100%伝達するのは不可能ではないか?
99.9%は仮説」と言う本に「科学は近似である」と書いてあったが、言葉もこちら側の「意思」を最も適切な語に「翻訳」した物であり、オリジナルとは異なる。言葉も「近似」でしかないのだ。

そもそも書き手が自分の主張を100%書き切る事自体が稀だ。
ネットに枚数制限はないが、時間的・精神的制約は存在するので、言いたい事を言い尽くせるのは幸運なケースでしかない。
書いた段階で100%でないのに、相手に100%理解される筈がない。
仮に言葉で何もかも説明し切ったとしても、長くなれば途中で読むのを辞める人が増え、結局は伝わらない。

元来、人間の「コミュニケーション」において<言葉>はそれほど重要ではない。
言葉よりも相手の表情や仕草、声の調子や「間」などから受け取る情報の方が大きく、会話の80%以上は非言語情報なのだと言う。

「百聞は一見にしかず」と言う諺もあるが、言葉では相手がまったく「知らない」事については伝えようがない。
「キリン」を見た事のない人にキリンの特徴をいくら説明したとしても、その人が想像する<キリン>は本物の<キリン>とは異なる。
言葉は相手にあらかじめ予備知識があってこそ初めて伝わる。
新しい知識を伝えているのではなく、相手の頭の中に既に存在していた<概念>を掘り起こしているに過ぎない。
<言葉>とは結局、自分の意思を完全に伝えられもせず、新しい見識の獲得にも役立たない、下級のコミュニケーションツールに過ぎないのだろうか・・・?

2006年08月19日 10:35|コメント8

無知の知と自己の不完全性

世の中には自分を「絶対に正しい」と信じて疑わないタイプの人間がいるが、何もかも100%正しい判断を下す事など、全知全能の神でもなければ不可能だ。
なぜなら、我々は知らないと言う事すら「知らない」だからだ。他に正しい答えがあっても、それを知らないから間違いには気付かず、過ちを犯してしまうのである。
大切なのは、自分が無知であると自覚する事。無知の知である。そうすれば己を盲信して失敗を繰り返さずに済む筈だ。

「私は正しい」という主張は反証が一つでも見つかれば崩れるが、これを「私は間違ってる」に変えると途端に否定するのが難しくなる。
嘘つきのパラドックスと同じで「私は間違っている」と言うのも間違いであると考えれば何もかも100%正しくて無矛盾だからだ。
つまり自分は常に正しいと思うより、間違っているかも知れないと考える方が正しい、

ゲーデルの不完全性定理を引き合いに出すまでもなく、人は不完全な欠落した存在であり、それを補い合う為に他者を必要とする。
自分で自分が正しいかどうかを証明するのは不可能だ。それ故に他人の意見、批判を通じてより正確な答えを模索していくしかない。それこそが批判的合理主義の精神である。

批判的合理主義では「批判の余地がある方が科学的」とされている。批判の余地がない方が完璧であるように思えるが、そうではない。
批判を真摯に受け止めて改良していくのが科学であるから、他人の忠告に聞く耳を持たない奴は非科学的な人間なのだ。
ただし、批判と中傷は分けて考えるべきである。

2005年10月27日 13:20|コメント7

英雄の条件

チャールズ・チャップリンは「一人殺せば殺人者で、百万人殺せば英雄だ! 殺人は数によって神聖化させられる」という名言を残しているが、真の英雄とは大量殺人なんかではなく人の命を救ってこそそう呼ばれる資格を得る。

「それいけ!アンパンマン」の作者であるやなせたかし氏は兵隊として戦地に行った時、何よりも耐え難かったのは飢える事、飢餓だったそうで、正義の味方なら飢えた人間を救えなくてはならないといった観点から、お腹を空かしている人に自分の頭を食べさせて助けるヒーロー、アンパンマンが生まれたそうだ。

自己を犠牲にしても困っている人を助けるがヒーローの条件だ。
手塚治虫の「ジャングル大帝」でも最終回でレオは自分の肉を食べさせて寒さと空腹で死にかけていたヒゲおやじを救ったっけ。
人間でも「英雄的指導者」と称えられる様な人は数多くの飢えた貧困層を救っているはずだ。反対に何百万人もの無辜の民を餓死させる様な人物は、どんなに戦に強くとも英雄とは呼べません。

2003年01月15日 10:20|コメント5

隣接記事

カテゴリー