反出生主義 Q&A

子供を作るべきか?

反出生主義って何?

反出生主義とは子供を作る事に反対する思想全般の事です。Wikipediaに詳しい説明があります。

どうして子供を産んではいけないの?

生きていれば間違いなく苦しみが生じます。他者に無断で苦痛を与えるのは許されません。
子供の同意を得て出産する事は不可能です。同意がない以上、出産は親のエゴであり倫理的に問題があります。
「生まれてきた子供が幸せなら同意がなくても良い」と考えるのは誤りです。それは「女が感じていればレイプしても良い」と考える強姦魔と同じ発想だからです。

お金持ちや優秀な人間なら子供を作るべきでは?

それは優性思想であって反出生主義ではありません。反出生主義者が「子供を産む資格がある」と考えるお金持ちの基準とは、子供が一生遊んで暮らせるだけの資産(最低数億円)がある人だけでしょう。そんな人間は実質的にいません。
もし条件をクリアする人間であっても「子供のためにならないから産むのはやめておけ」と言うのが反出生主義者です。

人類が絶滅しても良いの?

はい。何も問題ありません。むしろあらゆる問題がそれで解決するのです。
遅かれ早かれ人類は絶滅します。不本意な形で絶滅するより、自発的に苦痛をコントロールしながら早めに絶滅する方が良いでしょう。

自殺した方が良いの?

いいえ、それは誤解です。「生まれてこない方が良い」と「今すぐ死んだ方が良い」の間には大きな違いがあります。
反出生主義は「人生には始める価値はない」と考えますが、わざわざ死ぬほどの価値もありません。
むしろ死を避けたいからこそ「最初から生まれてこない方が良い」と思うのです。

妊娠しちゃった。中絶すべき?

反出生主義者の言う「生まれない方が良い」とは「存在しない方が良い」と言う意味なので「産まなければ良い(中絶すべき)」と言う話ではありません。
胎児は既に存在してしまっています。まともな人間なら動物に対してさえ殺生には反対するでしょう。であるならば胎児に対しても中絶を正当化する理由などありはしないのです。

反出生主義的には胎児を殺すことを推奨する事はできません。個々の事情や判断に委ねられます。
妊娠した時点で産むにしろ堕ろすにしろ「罪」になります。それを自覚すべきです。
反出生主義が奨励するのは避妊であって中絶ではありません。
しかしながら避妊してても「できちゃった」場合、意図的に子作りするのに比べたら罪は軽いと言えます。中絶する方が問題でしょう。
倫理的な理由(反出生主義)で中絶する必要はないという事です。

子供を産んだ事を後悔しています。子持ちでも反出生主義者になれますか?

子持ちの人も歓迎します。しかし産んだからにはちゃんと育てて親の責任を果たしてください。
そして子供には「孫は要らない」事を伝えて子作りのプレッシャーから解放してあげましょう。

反出生主義はどうして広まってないの?

世界のメジャーな宗教の殆どには「産めよ増やせよ」で子作りを肯定する教義が含まれています。宗教は人口増によって信者を増やせるのに対し、反出生主義は書物や口伝でしか伝わりません。
言論の自由のない社会では思想を伝える事さえ難しいので中々増えにくいのです。しかし文明の発達によって先進国では宗教は廃れてきているし、インターネットによって世界中に情報の伝達が可能になりました。反出生主義は今後はどんどん増えていくでしょう。

マスメディアが反出生主義を取り上げないのはなぜ?

海外ではドラマ『TRUE DETECTIVE/二人の刑事』の様に反出生主義を表現した作品もありますが日本では難しいでしょうね。
テレビで反出生主義を唱えたら抗議が殺到すると思います。日本のテレビ局は抗議を恐れるのでやらないでしょう。ベビー用品のスポンサーへの配慮もありますしね。反出生主義は完全にタブーなのです。

クイズ番組
カナダでは反出生主義がクイズに出題された事がある

ベネターの非対称性とは?

「喜び」の機会が奪われても存在しない者に取っては何の不都合もないのに対し「苦痛」を受ける機会がなくなるのは誰にとっても(存在していなくても)良い事です。
従って生まれてくるより存在しない方が常に良く、出産は不道徳だとデイヴィッド・ベネターは論じています。

参考になる本を教えてください

人口問題に関しては世界20カ国余を旅して書かれたアラン・ワイズマン著『滅亡へのカウントダウン』がベストです。

redditのコミュニティーで反出生主義関連の書籍が紹介されていますが邦訳されている本は少ないです。ショーペンハウアーとシオランの『生誕の災厄』くらいでしょうか。

日本の哲学者では中島義道が反出生主義に近いですが彼には子供がいます。やはり子供がいますがホリエモンも反出生主義的な考えをしています

日本語で反出生主義について書かれた本は少なそうですが、初期仏教は反出生主義そのものなので初期仏教関連の本が代用品になると思います。
仏教思想のゼロポイント』や『中村元の仏教入門』『ブッダはダメ人間だった』など初期仏教に関する本なら色々あります。しかし初期仏教ではない日本仏教なんかは妻帯も認めていて堕落しているので学ぶ価値はありません。

仏教も盲信しない事が肝心です。「疑う」と言う科学の基本姿勢さえあれば反出生主義に辿り着けるでしょう。生物や宇宙、進化論について学び直してみるのも良いかも知れません。
悟りについては前野隆司さんの本『幸せのメカニズム』などでも簡単に説明されています。仏教に精通している苫米地英人さんの著作もおすすめです。

参考:FAQ for /r/antinatalism
反出生主義の再定義と戦略
反出生主義メモ
反出生主義者におすすめの作品
反出生主義リンク集

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子供を作るのは悪である

落書き

人生は公平ではない。それに慣れよ。 by ビル・ゲイツ

本当に人生は不公平なものだと最近良く感じる。「人間は皆平等である」なんてのは理想であって現実ではない。

生まれた時点で既に差がついてる。スタート地点からして違う。例えば皇室の子供は何もしなくても成人したら国から毎年900万円のお小遣いが貰える。その一方でトイレに産み捨てられる子供もいる。
大なり小なり、そういう格差が生まれた瞬間からあるのです。

格差が広がり続ける世界

思うに「完全に平等な社会」を築くのは不可能ではないか?ロボットのように皆がまったく同じでなければ必ずどこかで差がつく。
人はそれぞれ違う個体だ。生まれた環境も親も能力も違う。違いがある以上平等とは言えない。

猿ですら不公平な扱いを受ければ激怒する。「不公平を嫌う」のは本能。それゆえに世界中どこでも不公平は悪であると定義されている。
人生が絶対的に不公平なものであるなら「子供を産む」という行為は格差の再生産でしかなく、不公平を是認する事になるので、それは「悪」であると言える。

生きる事そのものが苦しみの一つ

仏教では人生とは四苦八苦。苦しみそのものと教えられている。その苦しみの根源、因果は親が子供を作ったせいで生じる。
子作りとは人間の業、カルマそのもの・・・!親の一時の快楽と引き換えに子に一生の苦しみが与えられる。
だから克己心でもって「子供を産まない」という選択をする方が正しい。少子化の傾向は悪い事ではなく、少子化こそが正義なのです!!

動乱の原因

子供が増えると社会不安も増大する。アフリカやアラブ世界は目覚しい経済成長を遂げているにも関わらず、それを上回るペースで若年人口が増えているために雇用が不足し、それが「アラブの春」と呼ばれる動乱の引き金になった。

リビアの英雄だったカダフィ大佐も調子に乗った若者にノリで殺されてしまった。子供が増えるとろくな事がない。
世界中で少子化が進めば、やがて世界平和も実現されるでしょう。

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快楽原則の誤り

人間は「快楽を求め苦痛を避けようとする」快楽原則に基づいて行動するが、これは正に本能だ。
「痛み」を感じて致命傷を避けようとする個体の方が生き延びやすく、性行為に「喜び」を感じる個体の方が子孫を残しやすい。
生存に有利な行動を「快」、不利な行動は「不快」と感じるように生物は進化している。
言わば利己的遺伝子が遺伝子の乗り物である我々をコントロールする為の「アメとムチ」として快楽原則が存在しているのだ。

「快楽原則」と言う名前を見ると「快楽」の方が比重が大きい様に思えてしまう。少なくとも「快楽」と「苦痛」が同等のものとして扱われているが、実際は違う。
人は快楽がなくても生きていけるが、苦痛を避けなければ死んでしまう。苦痛を感じることの方が快楽よりも優先度が高いため、生物は「苦痛」の方をより強く、より多く感じる様にできている。

例えば人間の三大欲求にしても、おいしい物を食べれば確かに喜びを得られるが、おいしくなくても「空腹」と言う苦痛から逃れる為に人は食事をとる。
睡眠だって寝るのが楽しいと言うより寝ないと具合が悪くなるから寝ているだけ。
唯一、性欲だけは純粋に快楽を求めて行われるが、それは「子作り」と言う生存するのにまったく不要な行いをさせる為に、利己的遺伝子が快楽の度合いを多めに配分しているからだろう。

つまり生物の行動の大部分は「苦しみから逃れたい」と言う動機によって行われる。アメよりムチの方が圧倒的に多い。
快楽原則では苦しみこそが「主」であり快楽はオマケ程度のもの。だから本当は苦痛原則と呼ぶべきだ。

人間が感じている喜びとは、実際は「苦痛から解放された」事を喜んでいるだけだったりする。当然、全体としては喜びより苦痛の方が大きい。
人が娯楽を求めるのも退屈という苦痛から逃れる為であり、末期がん患者が痛み止めのモルヒネを求めるのと変わらない。

そもそも人間は過剰な快楽を得るとドーパミンが分泌され過ぎて脳細胞が破壊されてしまう。もし脳に痛覚があったなら、人は喜びにさえ苦痛を感じてしまうだろう。
快楽は儚いが苦痛は永続する。「人生は喜びと苦しみのどちらの方が大きいか?」などと悩むのは無意味だ。利己的遺伝子が人間に苦しみの方を多く与えているのは明らかなのだから。

人は生まれながらにして「他人が作ったルール」に支配され、自由ではない。苦しみに満ちたこの世界には、いっそ生まれてこない方が幸せなのです。

I AM FREE

就職しろ。仕事に行け。結婚しろ。
子供を持て。流行を追え。
普通でいろ。レールの上を走れ。
テレビを見ろ。法に従え。
老後に備えよ

さあ復唱しましょう
「私は自由だ」

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反出生主義の名言

アンディー・ウォーホル
生まれてくるのは誘拐に似ている。そして奴隷として売られるのだ。
(アンディー・ウォーホル)

人生とは裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない。
(ショーペンハウアー)

眠りは良い、死はもっと良い。でも一番良いのは生まれてこないことだ。
(ハインリッヒ・ハイネ)

死は我々から意識を永遠に奪うものであるが、不思議な利益もあって、深い夢のない眠りは最も幸福な人生のいずれの日よりも好ましい。
(プラトン)

幸福は夢に過ぎず、苦痛は現実である。
永遠の生命というのはどのようなものか私は知らない。
だが、これはよほどたちの悪い冗談だ。
(ヴォルテール)

人生は楽しいことより、苦しいことの方が多い
(美空ひばり)

なぜ我々は出産を喜び、葬儀で悲しむのか?当事者ではないからだ。
(マーク・トウェイン)

貪り食う動物の喜びと、今まさに貪り食われている側の動物の苦しみを足してみたまえ。世界には苦痛のほうが多いことが容易に判るだろう。
(ショーペンハウアー)

ビートルズは成功し、欲しいだけの金や名声を手に入れ、最後に自分たちは何も手にしていない事に気づいた。
(ジョン・レノン)

人生はとるに足りない夢だ。いつかは消え去ってしまうのだ。
(ナポレオン)

子どもを産むことは原罪的な呪いの行為であり慎むべきである。

(マハトマ・ガンジー)

我々は泣きながら生まれて、文句を言いながら生きて、失望しながら死ぬ。
(イギリスのことわざ)

ママ、死にたくない!時々考えるんだ、いっそのこと生まれてこなきゃよかった
ボヘミアン・ラプソディ

フレディ・マーキュリー

この世は生きるに値しない
(宮崎駿)

人生は苦痛と退屈のあいだを、 振り子のように揺れ動く
(ショーペンハウアー)

例えば俺たち生まれなければ
生きる意味など迷わなかった
開けてはいけない扉もあるよ
野猿

「死んだゴリラはどこへ行くの?」
苦しみのない 穴に さようなら
ゴリラ

赤ん坊が生まれたときに泣くのは、この大いなる阿呆の舞台に上がってしまったからなのだ
『リア王』

人生は無意味なものである。これが真理だった。自分の前には滅亡のほか何物もないことを発見したのである。

生に酔いしれている間だけは生きても行けよう、が、さめてみれば、これらの一切がごまかしであり、それも愚かしいごまかしであることに気づかぬわけにはいかないはずだ!
(トルストイ)

智に働けば角が立つ。情にさおさせば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
『草枕』

私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当が付かない。
(夏目漱石)

人生に目的はあるのか。私は、ないと思う。
何十年も考えつづけてきた末に、そう思うようになった。
(五木寛之)

わが行く道に茨多し されど生命の道は一つ
この外に道なし この道を行く
(武者小路実篤)

人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。
水戸黄門

あなたは経験から知っているはずである。放浪の果てのどこにも、良い人生は見つからなかった事を。
それは論理の中にも、富の中にも、栄光の中にも、道楽の中にもない。つまり、どこにもないのである。
(ローマ皇帝 マルクス・アウレリウス)

人間は死と不幸と無知を癒すことができなかったので、幸福になるためにそれらを考えないことにした。
(パスカル)

私は非常に多くのことをやってきたが、結局何も達成することはできなかった。
チャーチル

地獄への道は善意で舗装されている。
(ハイエク)

人はみなひたすら死を逃れんと欲し、生より逃るることを知らず。
(老子)

思索的な人間が成年期に達して、成熟した意識を持つようになると、自分が出口のない罠にかかっているように感じるものです。
(チェーホフ)

子供は創造物ではない。創造とはどちらかと言うとそのような簡単な生産を否定することです。
私は困難な創造しか求めません。
(岡本太郎)

一切の生き物のいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。サイの角のようにただ独り歩め。

(ブッダ)

われは生を喜ばず、死を喜ばず
(仏弟子)

人を幸福にし、最後には人々に平和と安らぎを与える目的で、人類の運命という建物を作ると仮定してごらん。ただそのためにはどうしても必然的に、せいぜいたった一人かそこらのちっぽけな存在を、例えば例の小さな拳で胸を叩いて泣いた子供を苦しめなくてはならない、そしてその子の償われぬ涙の上に建物の土台を据えねばならないとしたら、お前はそういう条件で建築家になることを承諾するだろうか。
『カラマーゾフの兄弟』

私は死を恐れない。私は産まれるまで何十億年もの間死んでいたのに、少しの不自由も感じなかったのだから。
(マーク・トウェイン)

この世は涙の谷である
『聖書』

人生は地獄よりも地獄的である
(芥川龍之介)

子どもを産むことは、災いを増大させることにほかならない

存在しないよりは存在する方がマシだということを証明するいかなる方法も存在しない

赤ん坊を他人に見せ、潜在性のこの災厄を見せびらかしては悦に入る。
これはもう理解を絶した狂気の沙汰だ。
(シオラン)

人生は絶え間ない苦労と不断の心配に耐えながら困窮と戦いつつ、この生存そのものを日々かろうじて維持するだけのことであり、しかも前途には死があるのみである。

幸福は消極的であり、苦痛は積極的である。

この世は、苦悩と不安に苛まれている生物が、互いに食い合うことによって生を繋いでいる修羅場である。

墓石を叩いて、もう一度生き返りたいかと死者に問えば、彼らは首を横に振るだろう。
そして、ソクラテスの意見もこれと同じである。
(ショーペンハウアー)

もし魂が肉体とともに死滅するのであれば、死は一つの救いである。
(キケロ)

生きていれば何かを獲得すると若い人は漠然と思っているんだろうけど、実際は失っていく過程なんだよ
(押井守)

ーどうして子供を産まないのか?
「子供を愛しているからだ」
(タレス)

人間は一つの無益な受難である。
(サルトル)

産んでもらって迷惑だ
(斎藤匠)※母親を殺して服役中

あらゆる罪を犯した。父親となる罪だけは除いて。
(シオラン)

神はいない。でも悪魔はいるわ。この世に正義なんてない。
(ブルンヒルデ・ポムゼル / ゲッベルスの秘書)

私たちは、生物史上最も危険な種である
『サピエンス全史』

何という世の中だ。狂人が恥を知れと叫ばねばならんとは!
(A・タルコフスキー / 映画監督)

ショーペンハウアー
もし子供が純粋に理性の働きによって作られるなら、人類はそれでも存続しえたであろうか?
むしろ誰もが来たるべき世代に対して深い同情を感じて、なるべくなら彼らには存在の重荷を背負わせるような真似はしたくはないと思ったりはしないであろうか。
(ショーペンハウアー)

人間は死の恐怖と生の苦痛とのはざまを漂流している悲惨な存在である。生きることを嫌悪しつつ、死ぬこともできないでいるのだ。
(セネカ)

この主張で世の中を変えられるとはゆめゆめ思っていない。ただ真実は言挙げされねばならないというだけだ。
(ディビッド・ベネター)

わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。
見よ、虐げられる人の涙を。
彼らを慰める者はない。
見よ、虐げる者の手にある力を。
彼らを慰める者はない。

既に死んだ人を、幸いだと言おう。
更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。
いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。
太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。
『旧約聖書』

この世で確かなものは、税金と死だけだ。
(ベンジャミン・フランクリン)

長期的には我々は皆死んでいる。
(ケインズ)

結局、私の生活は苦痛と重荷にすぎなかったし、七十五年の全生涯において、真に幸福であったのは四週間とはなかった、とさえ断言できる。私の生涯は、たえず転がり落ちるので永遠にもち上げてやらなければならぬ岩のようなものでしかなかった。
(ゲーテ)

最後に凱歌を挙げるのは死である。

(ショーペンハウアー)

──それで子どもが人生を極楽のように感じてくれれば親はしめたもので、この世に生み出した恩を子どもに押し売りすることもできようが、その逆であったら恩どころのさわぎではなく、なんといって謝ったらいいものやら、賠償の方法がない。それを子どもに向かって、人生は楽しいはずだ、結構なはずだ、父母をありがたく思え、恩返しをしろ、と訓戒するのはあまりに厚かましい。そんなに人生がよいものなら手当たり次第に女生と交渉をもって子どもの50人も作って、一同から恩人として感謝されたら良い。
私は厭世思想を押し売りしようとは思わないが、戦火を逃げ延びて戦後の窮乏に苦しんできた人で、この子は生まれなかったほうが幸せだったのではなかろうかと、一度も考えずにすんだ人がいるなら、それはよくよく幸福な人か、ないしはあまり子どもに愛情を感じない人であるに違いない。
(戸川行夫)

俺は生まれたくてこの世に生まれて来たわけじゃないんだ
お前らが勝手にそうしただけであって俺は迷惑なんだよ
俺に迷惑かけてるなら俺が死ぬまで またはそっちが死ぬまで それなりのことしてもらわなきゃ困るわ
なんで生まれてきたくもねーこの世の中に俺がいるんだよ 俺に迷惑かけてるの分かれよ
(高校生のツイッター民)

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反出生主義への反論

反出生主義に対する、ありがちな否定意見に反論してみます(`・ω・´)

「子供を作るのは自然な行いだ」

自然主義的誤謬。自然な行いが正しいとは限りません。また「それができる」は「それをすべき」を意味しません。

「何で自殺しないの?」

反出生主義は自殺を勧めません。むしろ普通の人より生命、人権、動物の権利を尊重しています。
人命を尊重するからこそ、まだ生まれていない人間は生まれて来ないままの方が良いと考えるのです。
生と死はセットです。「死を避けたい」と言うのが反出生主義の理由の一つ。他人に死を勧めたり強要する方がおかしいと思います。

「ネガティブなだけでしょ」

人間は楽観的に考える傾向があります。抑うつリアリズムでネガティブな人間の方が物事を正確に捉えている可能性が高いです。

「人生には生きる価値がある」

人生には生きる価値がある
しかし始める価値はない。

「赤ちゃんは可愛いよ」

美は見る者の目に宿る。赤ちゃんを可愛いと感じる個体の方が赤子の世話を良くする為、子供の生存率が高くなる。その結果、生物は赤ちゃんを可愛いと感じる様に進化した。
つまり赤ちゃんが可愛いのではなく、我々が赤ちゃんを見ると本能的に可愛いと感じるだけだ。赤ちゃんそのものに価値はない。

「本能には逆らえない」

良くも悪くも人間社会では本能のままに行動することは許されません。本能的行動は多くが犯罪として処罰の対象となります。
出産が合法なのは社会の都合上許されているだけであって、正義とは別問題です。

「生物の目的は子孫を残すことだ」

遺伝子に意思はありませんし、進化に目的はありません。繁殖に有利な遺伝子を持つ者が生き残ってきただけで、子孫を残す為に生きているわけではないのです。
全ては結果的にそうなっているだけ。生物の存在に意味はありません。

「アフリカに生まれなかっただけでも感謝しなさい」

人口爆発で今世紀末には人類の半分はアフリカ人になってるらしいけど。確率1/2でアフリカ人。

「生まれて来ない方が良かったかは、生まれてこなければ分からない」

それは既に生まれてしまった人間に対する見方であって、まだ生まれていない(欲望がない)なら「幸せになる可能性がある」より「苦痛を感じる可能性がない」方が良いのだから常に生まれてこない方が良いのです。

「先祖から受け継いだ命のリレーを絶やしてはならない」

ハトの伝統

"何で俺ら車にウンチしなきゃならんのだ?"
"先祖代々そうしてたからさ"

悪習、負の連鎖を自分の代で断ち切るのは栄誉であって恥ではない。

「子供は天からの授かり物」

いいえ、神なんていません。殆どの妊娠は単に親が避妊に失敗したせいで起きています。

「考え方は人それぞれ」

生命の起源は?宇宙に終わりはあるか?子供はどうしてできるのか?霊魂は存在するか?なぜ本能があるのか?・・・
これらの答えが「人それぞれ」ではないのは明らかでしょう。反出生主義は科学的知見の上に組み上げられています。それを「人それぞれ」と言って聞き流すのは思考停止であり反知性主義的だと考えます。

「反出生主義を他人に押し付けるな」

押し付けられるほど反出生主義の勢力は強くありません。反出生主義を広める活動を「押し付け」だと言っているなら、それは言論封殺以外の何物でもありません。
一般的には「子供を作れ」と言う社会的プレッシャーの方が遥かに強いです。親が子供に「生まれてくる事」を強制して人生の押し売りをする方が問題です。

「自分が生きた証をDNAに残したい」

1万年後の子孫のDNAから特定の先祖のDNAを検出する事は不可能です。ぐちゃぐちゃに混ざって原形を留めてはいません
恐竜の化石から恐竜の遺伝子を取り出す事もできません。完全に消滅してしまっています。遺伝子はデリケートなので記録媒体には向きません。
100万年後の人類は今とは別の種族になっています。ひょっとすると退化してチンパンジーに逆戻りしているかも知れません。チンパンジーの先祖になって嬉しいですか?

「私の産む権利は誰にも否定できない」

自由は他人に危害を与えない範囲で認められます。出産は子供に損害を与えうる行為ですから無制限には認められないと思います。
赤ちゃんは泣きながら生まれてきます。出産それ自体が苦痛であり虐待なのです。他人を傷付ける自由などありはしません。

「精子が自ら卵子まで泳いで受精したのだから受精した時点で子供は出産に同意したのだ」

それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。精子に責任能力はありません。
妊娠したのは親の行いが原因であり、紛れもなく親の責任です。

「生まれる前の状態の方が苦しいかも知れない」

意識は脳によって作られます。全身麻酔をすると意識を失いますよね?脳が働いていなければ意識もないのです。
脳が存在しないのだから妊娠前や死後に意識はありません。苦しむのは生まれてきて感覚器官を持っているからです。

「人間がいなければ反出生主義も存在できない」

反出生主義は掃除と同じです。ゴミがあるから掃除してるだけで別に好きで掃除してる訳じゃない。
人類が存在しないなら反出生主義もなくなって構わない。最初から全て存在しない方が良かったのです。
文明だって人間が楽をする為に発達しただけなので、人類が滅んだ後に文明を残す必要はまったくありません。

「まだ生まれていない人間が生まれてきて幸せになる可能性を奪うな」

まだ存在していない人間に欲望や意思や人格はありません。存在しない人間の「幸せになる可能性」を奪っても誰にも不利益はないのです。
逆に生まれてくる行為によって既に生きている人間にも不利益が発生します。育児によって親の幸福度が下がるケースも多いし、教育費には多額の税金が投入されています。

子供のいない家庭も税負担によって他人の教育費を間接的に負担させられています。公教育に使われている税金を福祉に回せば、例えば全てのホームレスに住居を与えることも余裕でできるでしょう。
まだ存在していない人間の「幸せになる可能性」のために、既に生まれてしまっている人間が確実に不利益を受けるなんておかしな話です。

「子供が不幸になると決めつけるな」

子が最終的に自分を幸せと感じるか、不幸と感じるか、それは分かりません。しかしトータルで幸せであったとしても不幸がまったくない訳ではありません。
生まれる事によって確実に苦痛も生じるのですから、同意なく行われる出産という行為はやはり倫理的に問題があります。

横綱に酒ビンで頭をカチ割られても最終的に殴られた方が幸せになる可能性はあります。だからと言って殴っちゃダメですよね?
誰も「死」からは逃れられないし、酒ビンで殴られるより苦しい死に方をするかも知れない。
まだ生まれていないなら幸せを求める必要性はないのだから、苦痛を受ける可能性がゼロの方が良い。

「交通事故をなくす為に車の運転を止めろと言ってるのと同じだろ」

意図的かどうかが最大の問題です。事故ではなく故意に人を轢き殺せばそれは殺人です。
不本意だったり意図しない妊娠まで批判するつもりはありません。運転もOKです。
意図的に人を轢いたり、子供を作ったりしない方が良いと言っているだけです。

「極論だよね」

反出生主義は「自分がされて嫌なことは他人にしない」「人に危害を加えない」と言った最低限の倫理だけでも成立します。
決して極論ではなく、むしろ普遍的な倫理観になり得るのです。
赤ちゃんを「人間」として扱うか「親の所有物」として扱うかの違いだと思います。
先進国では動物の権利すら認められ始めているわけですから、赤ちゃんの人権を無視する方が無理筋だと思います。

「産む前に子供から同意を得るのは不可能」

その通りです。だからと言って同意なく行って良い理由にはなりません。
泥棒が盗んだ物を「無断で借りただけだ」と言い張った所で違法は違法。
同意を得るのが不可能であった場合、それを勝手に行うべきではないと考えるのが普通ではないでしょうか?

「同意なく苦痛を与えるのがダメなら予防注射も射てない」

人命救助で命を救うために相手の骨を折ってしまったケースなどは、緊急避難的に許される行為です。それは倫理的に問題ありません。予防注射も同じです。
しかし不必要であったりデタラメな根拠(オカルトなど)で危害を与えるのは許されません。生まれてきてしまったからには予防注射も必要ですが、生まれてこなければ注射する必要はなかった。
なので予防注射は良くても子作りは悪なのです。

「生まないのは勝手だが人様の子供の世話にはなるなよ」

ならば子育ても完全自己負担で行うべきです。義務教育には生徒一人当たり1日5000円もの税金が投じられているそうです。まずその費用を返して頂きたい。
無料のランチはありません。子供に使われた税金は将来子供が働いて返すのです。本来なら親が払うべき金です。
子作り自体が人生の押し売りであり子供に強制的に借金させる様な迷惑行為だと自覚すべきです。

元々そんな身勝手な親から無償で他人の世話をする人間が生まれるはずもありません。有償でサービスを受ける事の何が悪いのですか?
他者に迷惑かけずに生きる事はできないのです。ですが迷惑かけたいと望んでいるわけでもありません。最初から誰も生まれて来なければ何の問題も生じなかったのです。

「反出生主義が成就したところで今を生きている者は救われない」

俺が子供を作らないことで
   _____
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        ( _)
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   ̄凵 ̄ ̄ ̄ ̄凵 ̄

子孫が苦しまずに済む

  | ))   )) | |\
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
俺はそういうことに
幸せを感じるんだ

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「先進国はどこも少子化なのだから反出生主義は必要ない」

逃れられない死の運命から一人でも多く救いたいとは思いませんか?少子化なら手を抜いて良いなんて考えは生ぬる過ぎます。
少子化が問題視されれば政府は少子化対策を実行し子供の数は増えます。それを防ぐためにも国民の大多数に反出生主義を認めさせて少子化を肯定的に受け入れさせなければならない。
政策次第で国民は「産む機械」に変えられてしまうのです。警戒を怠ってはいけません。
反出生主義は元々、先進国でなければ理解され難い。先進国で反出生主義が発展・普及すれば途上国が追いついてきた時にスムーズに導入する事ができます。先進国で反出生主義を広めるのは決して無駄ではないのです。

「労働力が不足するぞ」

将来的には人工知能とロボット技術の発展によって最大で40%近い雇用が失われると予測されています。
人口が減れば市場も縮小するので多くの労働力を必要とはしなくなります。女性の労働参加率を高め、定年を延長すれば労働力の不足など起こり得ません。
現時点でも日本の労働力は余っているのです。求人に人が集まらないのはブラック企業だからです。
労働力不足は雇用環境の改善など労働者にとってはメリットの方が大きい。「労働力不足」を心配するのは過剰な就職活動やワーキング・プア等の問題がなくなってからにすべきでしょう。

「財政が破綻するぞ」

「国の財政問題を解決するために人口を増やせ」と言うのは「国の借金を返すためにお札をジャンジャン刷れ」と言うのと同じくらい頭の悪い発想です。次世代にツケを回す分、もっと悪いでしょう。
それはまったく子供のためにはならないし、問題を先送りするだけの所謂「老害」の発想です。
仮に出生数が3倍に増えたとしても、その子供達が老人になる頃には国の借金は減るどころか3倍以上に増えているでしょう。
問題は借金体質なのであって、少子化を問題視するのは単なる責任転嫁でしかありません。

「昔に比べたら今が一番良い時代だよ」

昔が酷すぎたのです。人類史の99.9%は全くもって悲惨な状態であったと評価できるでしょう。昔よりマシなだけでまだまだ悪いと言えます。
今の若い人はネットのない時代に生まれたいとは思わないでしょう。ほんの数十年前ですら現代人には我慢できない様な生活でしかなかった。
未来の人間も現代を「こんな野蛮な時代には生まれたくない」と評価するのではないでしょうか?

「未来はバラ色なんだよ。文明が進歩すればあらゆる苦しみをなくせる。それまで人類は我慢するべき」

人類はバラ色の未来を築くために努力するべきではありますが、それは「今生きている人間」が幸せになる為であって「まだ存在しない未来人」のために今生きている人間やこれから生まれてくる人間を犠牲にする事は正当化できません。私たちは捨て石ではないのです。
文明が進歩してもこの世界から苦しみがなくなる保証はない。「道半ば」と言われて永遠に待たされるのは御免です。期限は設けるべきでしょう。
理想世界の実現の為に「文明を前進」させつつ同時に「反出生主義」も全力で推進すれば良いのです。反出生主義によって人類が自主的に滅んだとしても最速で1000年はかかるでしょうから十分な猶予があります。
理想が実現すればその時点で反出生主義は消滅するでしょう。できなければそのまま滅びるのが最善です。
人口が減ると文明が十分に進歩できないなどと言うなら、犠牲が大きくなりすぎるのでやはり滅んだ方が良い。
超文明による「苦しみのない世界」が実現しなくても、反出生主義によって苦しみはなくせるのだから両者は本質的に等価です。ですから文明発展のために反出生主義を放棄する事はあり得ません。

「社会を変えれば不幸な人間は減る」

資本主義に対抗した共産主義の実験は既に失敗しています。ピケティによれば格差は通常、常に拡大し続けるそうです。これは構造的な問題なので解消するのは極めて困難です。
北欧型の社会は比較的成功していますが、全ての国が北欧の様にやれる訳ではありません。社会を変えるのは難しいし変えた所で良くなるとは限らない。
生涯を「革命家」として生きるのは幸せな事でしょうか?偽りの希望にすがって不可能に挑戦し続けるのは一つの悲劇です。
我々は自分にできる事をやれば良いのです。革命は「できない事」であり、反出生主義は「できる事」です。

「社会問題は社会政策で取り除くべき。反出生主義は努力を放棄している」

社会改良と反出生主義は両立できますし両方すべき事です。
しかしながらエゴとエゴがぶつかる実社会は中々進歩せず、それどころか後退すら起こり得るのです。
解決すべき社会問題が10個以上あるとして、我々が生きている間に解決されるのはせいぜい2,3個でしょう。
人口過剰によって生じる問題もあるので人口を減らす以外に解決策がない場合もあります。
改善の努力はすべきですが「子供を作らない」以上に現実的で具体的な手段がないのも事実です。

「社会を良くするためには人手が必要」

社会を良くする必要があるのは今の社会に悪い部分があるからです。悪い社会によって生じる苦痛を取り除くために我々は社会を良くしたいと望む。
社会を良くするためには必然的に改良前の悪い社会で生活し、苦痛に晒される必要がある。
より良い社会とはそうやって先人たちの犠牲と汗と涙の上に築かれる物なのです。

生まれてさえ来なければ社会を良くする必要もないし、最初から苦しまずに済む。
人間は社会を補修するための道具ではありません。人間の幸福のために社会があるのであって、社会のために人間を生み出すのでは本末転倒でしょう。
わざわざ新しい命を生み出さずとも今生きている人間だけで社会は進歩させられます。

「加害をせずに生きる事はできない」

反出生主義は既に生まれてしまった人間の命は尊重します。生きる上での最小限の加害は仕方のない事です。
生きる上で加害しているからと言って「一人殺すも二人殺すも同じ」とばかりに全ての悪を容認する訳にはいきません。別に子作りしなくても生きる事はできるので、それとこれとは別問題です。
生まれなければ加害も起きない。出産は子供に対してだけでなく世界に対する加害でもあるのです。

「人類が消えても他の生物が繁栄して苦しむだけ」

人間社会には自然界とは別の苦しみがあります。人間は長寿で動物は短命です。生涯の苦痛の総量で人間は動物を上回っているかも知れません。
ホームレスの生活は惨めに感じますが野良猫や野生動物を惨めだとは思いません。人間も子供は楽しそうです。それと同じく寿命の短い動物は人間ほど不幸を感じてはいないでしょう。

野生動物と人間の比率は1:99です。人は科学の力で自然が賄える以上の人口を養っています。人間が消えた後の自然界の不幸の総量は人間の不幸の総量を上回る事は決してないのです。

人類は鉄の原料などの資源を使い果たしているので、もし新人類が誕生しても鉄器文明まで進めないと言われています。鉄器がなければ現生人類ほど繁栄するのは不可能なので新人類の心配をする必要はありません。そもそも殆どの類人猿も人類のせいで絶滅寸前です。

「マルチバースで宇宙は永劫回帰するから反出生主義は無意味」

もし別の宇宙に生まれ変わっても、その世界での苦しみをなくす為に何度でも反出生主義を繰り返せば良い。生こそ無意味です。
降りかかる火の粉は払わねばならない。マルチバースが正しくても反出生主義の正しさは変わりません。

「本当に絶滅したら最後の世代が苦労するじゃん」

もし人類が自発的な絶滅に同意するなら、人類最後の世代はその名誉に喜びを感じている筈なので決して悲惨な最期とはならないでしょう。
人口減に合わせて人類の住処を集約し、文明を維持していけば例えば100年以上の耐久性のある住居やサバイバルキット、ロボットなどを用意しておく事で最後の世代も文化的な生活を送る事は可能です。
人類が悲惨な絶滅を迎えるのは反出生主義を受け入れず、人口が最大の状態で不測の事態が起きた場合なのです。

「死ぬ選択肢はあるのだから勝手に産んでも問題ない」

例え安楽死の制度があったとしても自ら死を選ぶ時点でその人の生に深刻な危害が存在するのは明白です。
それほどの危害を受ける原因を作った親の罪が消える事は決してありません。子が自死した場合、その責任こそ重大です。
「生きるのが嫌なら自殺すれば良い」などと言い放つ鬼畜に親になる資格はありません。

「俺は嫌な思いしてないから。自分の幸せの為に生むし、子供が死んでもなんとも思わん」

それはエゴイズムであり、倫理に反します。あなたが子供を作るのを止める事はできませんが、誰も悪人の子供なんて望んでいません。

以上。なお反出生主義への反論は随時受け付け中です!

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自主的な人類絶滅運動とは?

VHEMT(自発的な人類絶滅運動)の創設者であるレス・ナイトは思慮深く、おだやかな口調で、理路整然と考えを語る、きわめてまじめな人物だ。
教師でもあるナイトは、必ず同じ答えになる数学の問題を解いているだけだと言う。
「60億の人類のすべての命を奪うウィルスなどありません。99.99%が死に絶えても60万人は自然な免疫反応によって生き残ります。
ウィルスの蔓延はむしろ種を鍛えるのです。5万年後、人類はあっさり現在のレベルに戻ることでしょう」

「私たち全員が子供をつくるのをやめることに同意すると仮定しましょう。
5年後には、苦痛のなかで死にかけている5歳未満の子供はいなくなります。
21年後には、当然ながら未成年者の非行はなくなります」

その頃には諦観が浸透し、人びとは恐怖におののく代わりに悟りの境地に至っているはずだと、ナイトは予測する。
食糧はあり余り、水をはじめとする資源も再び豊富になっている。
新たな住宅建設は不要なので、森林や湿地も生命力に満ちあふれるだろう。
「資源をめぐる争いはもはや起こらないので、戦いで命を無駄にし合うこともなくなるのではないでしょうか」

アラン・ワイズマン 『人類が消えた世界』より

vhemt
The Voluntary Human Extinction Movement
自主的な人類絶滅運動 - Google翻訳

人類の絶滅を推奨するボランティア団体なんて物もあるんだね。こんな90年代みたいなサイトデザインで、実際20年前から続いているサイトらしいけど内容は充実していて論理的に考え抜かれている。

どちらかと言えばエコロジーの観点から人類の絶滅を目指している団体で「ヒトに限らず、感覚を持った生物の全て」が生まれてこない方が良いと考えるデイヴィッド・ベネターの反出生主義とは少し趣が異なる。でも目指している所は同じだ。

人類を絶滅させるボタンがあったら押しますか?

絶滅ボタン
う〜んもし何の苦痛もなく一瞬で人類が消えるのなら押しちゃうかなぁ。苦痛が発生する核ボタンなら絶対押さないけど。
確かに「自発的な絶滅」というコンセプトには反するけど、死の苦しみさえなく全員が消えるなら押しても構わないのでは?

(戦争や疫病より)生殖の自由、経済的機会、教育が人口減少に効果的。

"..reproductive freedom, economic opportunity, and education are far more effective methods of improving the ratio of people-to-wildlife than promoting death could ever be."

- DEATH

結局この結論に行き着くんだね。アメリカは「子作りの判断に国家や他人が介入してはならない」という生殖の自由の規範が強固に守られているらしくて羨ましいわ。
日本じゃ未だに女性は「産む機械」扱いだもんな。
「生殖の自由」が守られている社会の方が絶対に幸せだよ。

イタリアなどの事例を見ると「女性教育」がカギを握ることがわかりました。その国の経済規模に関係なく、高度な教育を受けた女性ほど、初産年齢が上がり、出産数も少ない傾向にあります。

一方で学歴の低い女性は、社会で活躍する間もなく子育てに追われる傾向にある。つまり女性の教育水準を高めることで、われわれは持続可能な人口に近づくことができるのです。

アラン・ワイズマン特別インタビュー

女性の地位向上も必須だろう。生活のために好きでもない男と結婚する不幸はなくさなきゃならない。
女性が生涯独身で問題なく暮らせる様になれば出生率は下がる。それは良い事だ。

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