伊豆半島は「小笠原諸島の島が本州と衝突してできた」と説明されているが、それは間違っているのではないか?
豆つぶみたいに小さい小笠原諸島の他の島に比べると伊豆半島は大き過ぎる。伊豆の一部が小笠原諸島によって構成されていたとしても、大部分は海底の隆起によってできた物だろう。

南海地震によって四国が、東南海地震によって紀伊半島が陸地化したのであれば、東海地震でも陸地が増えたはず。
それはやはり場所的に考えて伊豆半島であろう。伊豆は東海地震による隆起でできた可能性が高い。

伊豆と房総半島
地図を見て思ったのだが、伊豆と千葉は形が似ている。伊豆が隆起によってできたのであれば、房総半島もそうではないのか?
と言うか千葉の辺りは10万年前まで完全に海の底にあったのだから、房総半島が海底の隆起によって形成されたのは疑い様のない事実。

それにしても房総半島は伊豆半島と比べても遥かに大きい。これが地震によってできたのだとしたら、千葉の辺りは東海地震よりも遥かに大きい地震に襲われてきたと言う事だろうか?
否っ!そうではない。伊豆と千葉の相似には大きな秘密が隠されている。その謎を解く鍵はフォッサマグナにある!
フォッサマグナができる前まで、房総半島は現在の伊豆の位置にあったのではないか?房総半島も東海地震によって形成されたのだとしたら、伊豆と形が似ている事の説明がつく。

つまりこういう事だろう。何百万年も前に突如始まった小笠原海溝の隆起によって日本列島の東端部分、東海の辺りにも地下から上へと持ち上げられる圧力が加わった。
それによって千葉が陸地化したり日本アルプスの成長が始まったが、陸地が持ち上げられ過ぎて地殻が耐えられる限界を超えた為に本州がポッキリと折れて完全に東西に分裂し、その隙間にフォッサマグナ(大きな溝)ができた。
小笠原の隆起が続いた為にフォッサマグナは拡大し、東海エリアにあった房総半島も押し出される様にして現在の位置に移動した・・・。

フォッサマグナの西縁は日本アルプスに沿っているが東縁はまだ確定していない。この説が正しければ理論上フォッサマグナに千葉は含まれない。
西日本の境界が「S字形」をしているので、その切れはしである東日本側の境界もS字に近いはず。
恐らくは新潟-平塚を結ぶラインの周辺がフォッサマグナの東縁だろう。

本州が東西に分裂した後、東日本は白頭山方向からの圧力を受けて弓なりの形に変形したようである。本来は小笠原海溝に沿ってもっとまっすぐ北向きに伸びていたはずだ。

フォッサマグナの領域を切り取って西日本と東日本をくっ付けると、中央構造線が千葉とつながって一本の線になる。これこそが本来の日本列島の姿であろう。
中央構造線は元々はただの海岸線だった。小笠原の隆起によって日本列島は大きく変化してしまったのです・・・。

【追記】
30年も前に琉球大学の木村政昭名誉教授が小田原にフォッサマグナ境界と思われる「相模構造線」を発見していたそうです。
木村教授の著作『噴火と地震の科学』には房総半島が移動しているという話も書かれています。木村政昭教授の発見がもっと広く世間一般に認知されると良いですね。

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