真・善・美は普遍的な「人間の理想」であるとされているが、本当にそうだろうか?
映画『ダークナイト』には「真実が必ずしも最良ではない」と言うメッセージが込められたシーンがある。
知れば知るほど絶望する事もある。パンドラの箱の寓話の様に知らない方が良い事もある。
古代の哲学者の時代なら「真実」は貴重で価値があっただろうが、科学が解き明かした「真実」は決して気持ちの良い物ばかりじゃないのです。
「真理」を求める知識欲も所詮は我欲に過ぎない。我欲は美しくないので「美」と矛盾する。
「善」は理想ではあるが理想と現実は違う。つまり善は真ではない。真実だけを追求するなら人権を否定するのが「正しい」行いになってしまいます。
「美」を求めるのは醜い物を差別する事に繋がる。その行為自体が美しくないし善い事でもない。
この様に「真善美」には矛盾する部分があるので、この三つを並べて平気で使う人間は思考停止している。
真善美を全て含む状態は「無」しかないであろう。無である事は絶対的に真であり、悪でもないから善。醜くもないから美しいと言える。
やはり生まれてこない事こそが最高の理想の状態だ。デイヴィッド・ベネターの様な反出生主義の哲学こそが最強でしょう。
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