天皇制には2600年の歴史があるとされているが、これは常識的に考えたら有得ない数値だ。「ウリナラ半万年」と同じ類のデマでしょう。
「皇紀2600年」を本気で信じてる奴がいたら、そいつは間違いなく電波系だろw
昔の暦では一年を二年と数えていたから皇紀2600年が水増しされた数字でなくても実際はそれよりも遥かに短い。
政治家の中にも「2600年の伝統を誇る皇室」云々と発言してる人がいたが、こういう間違った「歴史認識」は危険ですらある。
天皇が実在した証拠が残っているのは1300年前まででしかない。どんなに古くても卑弥呼の時代(3世紀)より古い事はない。それ以前には天皇なんて影も形もなかった。
この程度の歴史は人類史からしてみれば大した長さではない。
天皇制が存続できたのは天皇が自らを「神」と偽ってきたからで、天皇の「実力」とは無関係だ。
「2600年」の伝統があるだの「神」だの「天皇制がなくなったら日本はバラバラになる」等々の大嘘を流布させ、人々を不安にさせる事によって天皇制は存続できたのである。
そもそも「歴史の長さ」なんてものには何の価値もない。
時間は誰に対しても平等に流れている。アフリカだろうとアメリカだろうと人類の起源は同じで、どの民族にも同じだけの歴史があるのだから。
伝統とは火を守ることであり、灰を崇拝することではない。
- グスタフ・マーラー
迷宮案内
日本の古代史が不鮮明なのは歴史改ざんの当事者が現在も君臨しているため歴史学者も沈黙しているためです。
倭国・百済連合軍は「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に壊滅的敗北をします。その翌年に大宰府に「二千の唐・新羅軍」が渡来したことが書かれますがこれは「日本制圧」のための進駐軍です。
新羅王族が「天皇」を名乗り、唐王族の将軍は「中臣」として君臨するのです。日本書紀は漢文で作られますがこれは日本制圧を報告するため「則天武后」への献上のため作られました。しかし統治まもなく則天武后が死亡したため日本統治が変質していったのです。
663年以前の歴史はすべて改ざんです。
中臣家は藤原と名を変え現在も君臨しているため歴史学者は本当のことが書けません。
天皇家が名前に「仁」を継承するように藤原本家は「明」を継承しています。
あの統一教会・文鮮明が日本に浸透した背景に藤原家が関わっていたのではと感じてしまいます。
震電
「朕は神である」と公式に仰った方は1人もおりませんぞ。
周りが勝手に神だって言っただけ。そう、あなたみたいな一般たちが勝手に神に祭り上げただけ
箱男から震電への返信
「旧皇族」の肩書きでお馴染みの某竹田氏も自分からは旧皇族だと名乗ったことは一度もないと主張してるぞ。
それ自体、本当かどうか分からないがね。
匿名
最後名言過ぎる!
ヘル・ジャパン
天皇制はもはや灰
匿名
西暦も十分胡散臭いけどね