アウシュヴィッツ強制収容所 - Wikipedia

第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュヴィッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。
そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。

第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。アウシュヴィッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。

第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。

第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。

アウシュヴィッツ強制収容所

なるほど。これはとても参考になる話だ。人生に絶望した人間が生きるヒントになるだろう。

「愛」を実践するのは慈悲の瞑想で代用できる。
実際に自分を犠牲にしてまで他人に奉仕すると損してしまうが、「他人の幸せを願う」だけならタダだw
どっちにしろ単なる自己満足なんだから願うだけで何もしなくても効果は変わらない。

「美」を意識するはテレビとかで名作映画を見れば良いんじゃないか?
感動的な作品を見るとそれだけで生きていける気がする。。。
創作にチャレンジするのもアリでしょう。

「夢」を捨てないってのは難しいな。。。絶望してる人間に夢も希望もありはしないだろw
それより生きがいを見つける方が重要なんじゃないか?
人は穴を掘っては埋めるという無意味な行為を繰り返させるだけで精神的におかしくなるらしい。
意味のない事をやるのはそれだけ辛い事なのだ。人生にはやりがいとか生きがいの様な物が必要。
俺は少しでも時間を有意義に使ってる気分になりたいがためにブログを更新してるようなもんですよ(^^;)