性善説と性悪説、どちらが正しいのかは分からない。だが人が罪を犯さずに生きる事は不可能だ。
善人でも知らず知らずに罪を犯すのだから、生きている人間は皆、罪人なのだ。
そこで性根とは関係なく「生きる事は悪」と言う意味の生悪説を提唱したい。

肉食は罪

動物を殺して食べるのも非倫理的な行いの一つ。一度も肉を食べたことのない人間はほとんどいない筈。家畜だって苦痛を感じるのだから動物を殺すのが罪でない筈がない。
しかし肉食を完全に止めるのは難しい。罪を背負ってでもある程度は仕方がない。
ベジタリアンになったとしても人は罪から逃れられる訳ではない。人間が普通に生活するだけで環境には様々な負荷がかかっているのだから。

トロッコ問題と偽善

トロッコ問題では「一人を犠牲にして5人を助ける」回答をする人間が多数派だが、それは明確な殺人行為だ。なぜこんな時だけ人を殺してまで英雄的行動を取ろうとするのか?
貧困・飢餓・難民等々、我々の世界は常に助けを必要としている人間で溢れ返っている。それらの人々を日々見殺しにしながら生活を送っているのに、その罪を自覚せずに何か善い事をしようとしても偽善にしかならない。

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image: malone545 / flickr

例えば事故で大勢の人間が生き埋めになっている現場で救助もせずに飲めや歌えのドンチャン騒ぎをするのは誰だって不謹慎と思うだろう。
では10メートル離れた場所なら良いのか?100メートルなら?1万Km離れれば許されるのか?
結局、我々は助けられる人間を助けようともせず自分たちだけ幸せな生活を送ろうとしているエゴイストなのだ。生きるに値する人間なんていないだろう。

死ぬのも悪

生まれつきの極悪人でもなければ積極的に罪を犯したいとは誰も考えてはいない。生まれてきてしまったら罪を犯さずにはいられないだけなのだ。
かと言って罪から逃れる為に死ぬのも悪である。生きる罪は死では贖えない。
自然死でさえ関係者にとっては大きな迷惑なのだ。まして自殺などよほどの事情がなければ殺人に等しい重罪である。
死んだからといって罪が消えるわけではない。罪人は死んでも罪人のままだ。

反出生主義こそ大正義

狩人だって動物を殺してまで生きたいと本当に思っているのだろうか?生まれてこなければそんな事をする必要はなかった。
生きる事による罪は新たに人間を生み出さない事によって相殺できる。反出生主義は贖罪なのだ。
死ぬのではなく生きて反出生主義を全力で広めるべきだ。その為になら生きる価値がある。生きろ!!