5人が線路上で動けない状態にあり、そこにトロッコが向かっていると想像してほしい。
あなたはポイントを切り替えてトロッコを側線に引き込み、その5人の命を救う、という方法を選択できる。
ただしその場合は、切り替えた側線上で1人がトロッコにひかれてしまう。多くの人は遺憾ながらもこの選択肢をとるだろう。死ぬのは5人より1人の方がましだと考えて。
しかし、状況を少し変化させてみよう。あなたは橋の上で見知らぬ人の横に立ち、トロッコが5人の方に向かっていくのを見ている。
トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とし、トロッコの進路を阻むことしかない。この選択肢を示されると大抵の人はこれを拒否する
サイコパスの人はこの問題に躊躇せず「1人を犠牲にして5人を助ける」選択をするらしいね。
多くの人はトロッコの車線を切り替えて5人を助けるのが正解だと考えているようだ。
俺も昔はそれが正しいと思っていた。けど今はとてもじゃないけど軽々しくそんな選択はできない。
トロッコで5人が死んだとしてもそれは「事故」だが、車線を切り替えて1人が死んだ場合、それは自分が殺した事になる。
たった5人を救う為に1人を殺す事は許されるの?自分の意志で1人を死なせたという十字架を背負うくらいなら5人を見殺しにする方がマシではないか。
損得だけで考えると500人を救う為に499人を殺しても良い事になってしまう。
"多数の利益のためなら少数を犠牲にしても構わない"という考え方はどこかサイコパス的だ。
見知らぬ人を突き落としてトロッコを止めると答える人間も1割くらいいるらしい。そんな危ない連中が人口の1割もいる。本当に恐ろしいよ。
トロッコ問題で「5人を助ける」選択ができない人間が、もっと増えた方が良いと思う。
静岡
>状況を少し変化させてみよう。
>あなたは橋の上で見知らぬ人の横に立ち、
>トロッコが5人の方に向かっていくのを見ている。
>トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とし、
>トロッコの進路を阻むことしかない。
>
>この選択肢を示されると大抵の人はこれを拒否する
当たり前じゃん。
人間一人分の障害でトロッコが停止する、もしくは無力化されるなら、
5人の居る所にトロッコが突っ込んでも最初の一人を轢いた時点で
人間一人分の障害でトロッコが停止するので残り4人は死なない。
人間5人を殺すまでトロッコが止まらないなら、
見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落としてもトロッコが止まる事は無く、
5人の居る所にトロッコが突っ込んで4人をひき殺した所でトロッコは止まる。
つまり、5人死ぬ事に変わりはない。
トロッコが5人以上を余裕で殺せるだけのエネルギーが在るなら、
見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落としてもトロッコが止まる事は無く、
5人の居る所にトロッコが突っ込んで5人をひき殺しトロッコは走り去る。
つまり、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とす事に意味は無い。
トロッコが5人以上を余裕で殺せるエネルギーを持つなら、
隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落としても被害者が増えるだけ。
だからこの選択肢を示されても何のメリットも感じられず、これを拒否する。