日本人は議論が下手だと言われる。相手に反論されると自分が否定されたと感じてしまい、すぐカッとなって本題と関係ない個人攻撃に走ったりするからだ。
日本ではまともに議論する事すらできないのが現実であり、それが組織の改革が外国に比べて致命的に遅れる原因にもなっている。

第二次世界大戦の頃でさえアメリカ軍は下級の兵士が上官に反対意見を言うことができたし、それが正当と認められれば作戦に取り入れられもした。
日本軍で同じ事をしたら鉄拳制裁されて終いだろう。やがて学習性無気力で誰も何も言わなくなる。どちらが優れているかは言うまでもない。

日本人が議論を避けようとするのは、やはり心が弱いせいだろう。
弱い犬ほどよく吠える。日本人が議論ですぐカッとなるのは、ちょっとした一言で心が傷付いてしまうからなのだ。
日本人は世界一臆病だ。「恐怖」は最も強力な感情であり、理性を軽く凌駕する。
日本人の恐怖心の強さが論理的な思考力を奪ってしまっているのだ。

日本とは対極に最もガチガチに論理的に考えているのはドイツ人だろう。
彼の国の人間は生まれつき恐怖を感じない人間が多く、それ故に好戦的で古代からずっと戦争ばっかり繰り返してきた。

誰に何を言われても恐怖や精神的ダメージを受けないから冷静に議論ができる。
ドイツ人と同じゲルマン系が多いオランダでは風俗も合法だし安楽死や自殺も認められている。
日本でそれらについて冷静に議論できるとは思えないねw

私が初めて日本を訪れたのは、今から15年ほど前のことだ。
それまで私が日本に抱いていたイメージは、武士道、サムライ、強さ、礼儀、そして無敵の男が持つ一分の隙もない精神力、そんなものばかりだった。
ところが日本に来た私は失望した。

確かに深い尊敬の心を感じたが、それは強さや精神力ではなく、むしろ弱さから生まれるものだったからだ。
いくら尊敬の心を感じ、厳しい規律を目にしても、そこにはなぜか強さがまったく感じられなかった。

言い換えるなら、人々がシャボン玉の中で暮らしているような気がする、ということだ。尊敬の心が感じられても、それは他人の人生を邪魔したくないと怖がっているからだったり、他人の意見を聞きたくないからだったりする。

私は日本が大好きだ。少なくとも文化についてはそう言いきれる。しかし、その弱さを少し残念に思っているのだ。

ー ヒクソン・グレイシー (格闘家)