殺人は絶対悪だと思われがちだが本当にそうだろうか?殺人が絶対悪なら死刑制度があるのはおかしいし、正当防衛も認められなくなってしまう。
アメリカでは近所のゴロツキに挑発された「善良な市民」がゴロツキを銃で撃ち殺しても陪審員によって無罪判決が出る事がある。
日本なら杓子定規に有罪判決が出そうだが、民主主義のアメリカでは正当な理由があれば「人を殺す権利」もある程度は認められていると言えるでしょう。

国家は万能ではない。国家は悪人の全てを捕らえられない。ならば市民の手で直接悪人を誅殺する事ができた方が社会は良くなる筈だ。
日本は国家権力が腐敗してパチンコやヤクザを一向に取り締まろうとはしない。国がやらないなら市民の手で葬れるようにすべきだろう。
日本もアメリカの様に銃器の所持を認め、悪党を殺しても無罪になるように国民に「殺人権」を認めた方が良い。

アメリカで銃によって殺される人間より日本で自殺する人間の方が何倍も多い。
日本人は「銃が規制されていない」という一点を持ってアメリカを野蛮国のように見下す傾向があるが、自由に銃が持てるアメリカの方が全体的に日本より「良い社会」であると言う点を見落としている。
銃がある方が社会に良い意味で緊張が生まれ、理不尽な抑圧が減ってむしろ住み易い社会になるというメリットがある。

アメリカではスリーマイル島でレベル5の原発事故が起きただけで電力会社の社員が住民に射殺されたりしたが、レベル7の福島原発事故を起こした日本では誰も殺されず責任も取らず東電の幹部は辞任した後に悠々と関連会社に天下っている。一体どちらが「正しい」のか?

ケモノが火を恐れる様に人一倍臆病な民族である日本人は過度に銃を恐れる。
銃を恐れ、衝突を避け、服従の道を選び続けた結果、今の去勢されたかの如き軟弱な日本人と日本国家ができあがったのです。
少なくとも銃が規制されているより、銃を持てる社会の方が「自由」な社会であるのは間違いないと、そう思いませんか?皆さん!(拍手)

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