「善悪」という概念は人間関係の中から生まれた物であり、人間関係を円滑にする為にある。いわば暗黙のルールである。
もし無人島に一人で生活しているなら善悪の判断は必要がない。「快か不快か」だけを考えて行動すれば良いのだから。
「独善」という言葉がある様に自分が「善」だと思っていても他人にとっては善であるとは限らない。他者が賛同しない善行は善とは言えない。独善に陥らない為には熟慮が必要です。

善悪の判断の根底にも「快楽を求め苦痛を避けようとする」快楽原則が存在する。
立川談志が喝破した様に「良い人とは、自分にとって都合の良い人」の事であり、結局は他者(社会)を利する行為が「善」と呼ばれ、他者(社会)を害する行為が「悪」と判断される。
最大多数の最大幸福の追求こそが唯一の絶対的な善なのです。

人口減少は一人当たりの資源が増加して豊かさが増すので「善」であり、人口増加は資源を巡る争いが激化して皆が貧しくなるので「悪」だ。子供を作るのは悪である

社会全体が得する行為が「善」であるから、善良な人間が多い社会は必然的に発展する。発展している社会は善良である公算が高い。
善悪はそのコミュニティーの中での価値観なので、コミュニティーの外で「良い事」をしてもそれは善ではない。マザー・テレサが「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である」と言っている通りである。
とは言え、回り回ってそれが世界全体を良くする事に繋がるかもしれないので偽善が必ずしも悪いわけではない。

逆にコミュ二ティーの外でなら悪事を働いても良いのかと言うと、コミュニティー同士が互いに攻撃し合う破滅的状況を招くので、それはやはり「悪」だ。
しかし国家単位で非常に大きな文明レベルの違いがある場合などは侵略されるのも悪くない。日本政府に統治されるより外国に併合された方が国民が幸せになれるなら、それは良い事です。

薬も過ぎれば毒になる。同様に「効用」の変化によって善悪は逆転する。戦国時代であれば「権力の世襲」が秩序の維持に役立ったので世襲は良い事だったかも知れない。
しかし現代では例え世襲の権力者が平均的な能力を持っていても、もっと優れた能力を持つ人間が排除される事によって結果的に社会全体に機会損失を与えているのだから権力の世襲は「悪」であり、天皇制はそれ自体が害悪です。

社会が平等であるほど「最大多数の最大幸福」が高まる事が判明しているが、完全な共産主義は生産性を下げるので悪だ。資本主義も悪であり、社会主義くらいが丁度良い。
実際優れた社会であるヨーロッパの国々は殆ど社会主義なのです。

この様に善悪の判断には熟慮も必要であり、西洋では古代ギリシャ哲学から始まりキリスト教神学に受け継がれ、今も善悪について考え続けている歴史があるからこそ「良い社会」を築き上げる事ができた。
日本人には善悪の区別がつかない人が多い。「右へ倣え」で他人に合わせているだけで自分で考えているわけじゃない。
善悪が分からないから良い社会が何かもわからない。日本人は思慮が足りていないのではないか?

アインシュタイン