反出生主義に対する、ありがちな否定意見に反論してみます(`・ω・´)

「子供を作るのは自然な行いだ」

自然主義的誤謬。自然な行いが正しいとは限りません。また「それができる」は「それをすべき」を意味しません。

「何で自殺しないの?」

反出生主義は自殺を勧めません。むしろ普通の人より生命、人権、動物の権利を尊重しています。
人命を尊重するからこそ、まだ生まれていない人間は生まれて来ないままの方が良いと考えるのです。
生と死はセットです。「死を避けたい」と言うのが反出生主義の理由の一つ。他人に死を勧めたり強要する方がおかしいと思います。

「ネガティブなだけでしょ」

人間は楽観的に考える傾向があります。抑うつリアリズムでネガティブな人間の方が物事を正確に捉えている可能性が高いです。

「人生には生きる価値がある」

人生には生きる価値がある
しかし始める価値はない。

「赤ちゃんは可愛いよ」

美は見る者の目に宿る。赤ちゃんを可愛いと感じる個体の方が赤子の世話を良くする為、子供の生存率が高くなる。その結果、生物は赤ちゃんを可愛いと感じる様に進化した。
つまり赤ちゃんが可愛いのではなく、我々が赤ちゃんを見ると本能的に可愛いと感じるだけだ。赤ちゃんそのものに価値はない。

「本能には逆らえない」

良くも悪くも人間社会では本能のままに行動することは許されません。本能的行動は多くが犯罪として処罰の対象となります。
出産が合法なのは社会の都合上許されているだけであって、正義とは別問題です。

「生物の目的は子孫を残すことだ」

遺伝子に意思はありませんし、進化に目的はありません。繁殖に有利な遺伝子を持つ者が生き残ってきただけで、子孫を残す為に生きているわけではないのです。
全ては結果的にそうなっているだけ。生物の存在に意味はありません。

「アフリカに生まれなかっただけでも感謝しなさい」

人口爆発で今世紀末には人類の半分はアフリカ人になってるらしいけど。確率1/2でアフリカ人。

「先祖から受け継いだ命のリレーを絶やしてはならない」

50世代も遡れば人類は皆親戚らしい。全人類、全生物が死滅しない限り「何十億年も続く命のリレー」とやらが途切れる事はない。
そもそも死人に意識はないのだから先祖を気にするのは無意味。

「生まれて来ない方が良かったかは、生まれてこなければ分からない」

それは既に生まれてしまった人間に対する見方であって、まだ生まれていない(欲望がない)なら「幸せになる可能性がある」より「苦痛を感じる可能性がない」方が良いのだから常に生まれてこない方が良いのです。

「子供は天からの授かり物」

いいえ、神なんていません。殆どの妊娠は単に親が避妊に失敗したせいで起きています。

「考え方は人それぞれ」

生命の起源は?宇宙に終わりはあるか?子供はどうしてできるのか?霊魂は存在するか?なぜ本能があるのか?・・・
これらの答えが「人それぞれ」ではないのは明らかでしょう。反出生主義は科学的知見の上に組み上げられています。それを「人それぞれ」と言って聞き流すのは思考停止であり反知性主義的だと考えます。

「反出生主義を他人に押し付けるな」

押し付けられるほど反出生主義の勢力は強くありません。反出生主義を広める活動を「押し付け」だと言っているなら、それは言論封殺以外の何物でもありません。
一般的には「子供を作れ」と言う社会的プレッシャーの方が遥かに強いです。親が子供に「生まれてくる事」を強制して人生の押し売りをする方が問題です。

「自分が生きた証をDNAに残したい」

1万年後の子孫のDNAから特定の先祖のDNAを検出する事は不可能です。ぐちゃぐちゃに混ざって原形を留めてはいません
恐竜の化石から恐竜の遺伝子を取り出す事もできません。完全に消滅してしまっています。遺伝子はデリケートなので記録媒体には向きません。
100万年後の人類は今とは別の種族になっています。ひょっとすると退化してチンパンジーに逆戻りしているかも知れません。チンパンジーの先祖になって嬉しいですか?

「私の産む権利は誰にも否定できない」

自由は他人に危害を与えない範囲で認められます。出産は子供に損害を与えうる行為ですから無制限には認められないと思います。
赤ちゃんは泣きながら生まれてきます。出産それ自体が苦痛であり虐待なのです。他人を傷付ける自由などありはしません。

「精子が自ら卵子まで泳いで受精したのだから受精した時点で子供は出産に同意したのだ」

それは「銃の引き金を引いたのは自分だが、相手を殺したのは弾丸であって自分ではない」と主張しているに等しいです。精子に責任能力はありません。
妊娠したのは親の行いが原因であり、紛れもなく親の責任です。

「生まれる前の状態の方が苦しいかも知れない」

意識は脳によって作られます。全身麻酔をすると意識を失いますよね?脳が働いていなければ意識もないのです。
脳が存在しないのだから妊娠前や死後に意識はありません。苦しむのは生まれてきて感覚器官を持っているからです。

「人間がいなければ反出生主義も存在できない」

反出生主義は掃除と同じです。ゴミがあるから掃除してるだけで別に好きで掃除してる訳じゃない。
人類が存在しないなら反出生主義もなくなって構わない。最初から全て存在しない方が良かったのです。
文明だって人間が楽をする為に発達しただけなので、人類が滅んだ後に文明を残す必要はまったくありません。

「まだ生まれていない人間が生まれてきて幸せになる可能性を奪うな」

まだ存在していない人間に欲望や意思や人格はありません。存在しない人間の「幸せになる可能性」を奪っても誰にも不利益はないのです。
逆に生まれてくる行為によって既に生きている人間にも不利益が発生します。育児によって親の幸福度が下がるケースも多いし、教育費には多額の税金が投入されています。

子供のいない家庭も税負担によって他人の教育費を間接的に負担させられています。公教育に使われている税金を福祉に回せば、例えば全てのホームレスに住居を与えることも余裕でできるでしょう。
まだ存在していない人間の「幸せになる可能性」のために、既に生まれてしまっている人間が確実に不利益を受けるなんておかしな話です。

「子供が不幸になると決めつけるな」

子が最終的に自分を幸せと感じるか、不幸と感じるか、それは分かりません。しかしトータルで幸せであったとしても不幸がまったくない訳ではありません。
生まれる事によって確実に苦痛も生じるのですから、同意なく行われる出産という行為はやはり倫理的に問題があります。

横綱に酒ビンで頭をカチ割られても最終的に殴られた方が幸せになる可能性はあります。だからと言って殴っちゃダメですよね?
誰も「死」からは逃れられないし、酒ビンで殴られるより苦しい死に方をするかも知れない。
まだ生まれていないなら幸せを求める必要性はないのだから、苦痛を受ける可能性がゼロの方が良い。

「反出生主義者は子孫を残さないから、いずれ淘汰される」

反出生主義は思想なので一人で100人でも200人でも賛同者を増やす事が可能です。テクノロジーの進歩によって思想の拡散が容易になり、むしろ反出生主義者は増加傾向にあります。
一組の夫婦が産む平均的な子供の数が一人か二人程度なら、数世代後にはあなたの直系の子孫が断絶している可能性の方が遥かに高いです。

「交通事故をなくす為に車の運転を止めろと言ってるのと同じだろ」

意図的かどうかが最大の問題です。事故ではなく故意に人を轢き殺せばそれは殺人です。
不本意だったり意図しない妊娠まで批判するつもりはありません。運転もOKです。
意図的に人を轢いたり、子供を作ったりしない方が良いと言っているだけです。

「極論だよね」

反出生主義は「自分がされて嫌なことは他人にしない」「人に危害を加えない」と言った最低限の倫理だけでも成立します。
決して極論ではなく、むしろ普遍的な倫理観になり得るのです。
赤ちゃんを「人間」として扱うか「親の所有物」として扱うかの違いだと思います。
先進国では動物の権利すら認められ始めているわけですから、赤ちゃんの人権を無視する方が無理筋だと思います。

「産む前に子供から同意を得るのは不可能」

その通りです。だからと言って同意なく行って良い理由にはなりません。
泥棒が盗んだ物を「無断で借りただけだ」と言い張った所で違法は違法。
同意を得るのが不可能であった場合、それを勝手に行うべきではないと考えるのが普通ではないでしょうか?

「同意なく苦痛を与えるのがダメなら予防注射も射てない」

人命救助で命を救うために相手の骨を折ってしまったケースなどは、緊急避難的に許される行為です。それは倫理的に問題ありません。予防注射も同じです。
しかし不必要であったりデタラメな根拠(オカルトなど)で危害を与えるのは許されません。生まれてきてしまったからには予防注射も必要ですが、生まれてこなければ注射する必要はなかった。
なので予防注射は良くても子作りは悪なのです。

「生まないのは勝手だが人様の子供の世話にはなるなよ」

ならば子育ても完全自己負担で行うべきです。義務教育には生徒一人当たり1日5000円もの税金が投じられているそうです。まずその費用を返して頂きたい。
無料のランチはありません。子供に使われた税金は将来子供が働いて返すのです。本来なら親が払うべき金です。
子作り自体が人生の押し売りであり子供に強制的に借金させる様な迷惑行為だと自覚すべきです。

元々そんな身勝手な親から無償で他人の世話をする人間が生まれるはずもありません。有償でサービスを受ける事の何が悪いのですか?
他者に迷惑かけずに生きる事はできないのです。ですが迷惑かけたいと望んでいるわけでもありません。最初から誰も生まれて来なければ何の問題も生じなかったのです。

「反出生主義が成就したところで今を生きている者は救われない」

俺が子供を作らないことで
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子孫が苦しまずに済む

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俺はそういうことに
幸せを感じるんだ

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「先進国はどこも少子化なのだから反出生主義は必要ない」

逃れられない死の運命から一人でも多く救いたいとは思いませんか?少子化なら手を抜いて良いなんて考えは生ぬる過ぎます。
少子化が問題視されれば政府は少子化対策を実行し子供の数は増えます。それを防ぐためにも国民の大多数に反出生主義を認めさせて少子化を肯定的に受け入れさせなければならない。
政策次第で国民は「産む機械」に変えられてしまうのです。警戒を怠ってはいけません。
反出生主義は元々、先進国でなければ理解され難い。先進国で反出生主義が発展・普及すれば途上国が追いついてきた時にスムーズに導入する事ができます。先進国で反出生主義を広めるのは決して無駄ではないのです。

「労働力が不足するぞ」

将来的には人工知能とロボット技術の発展によって最大で40%近い雇用が失われると予測されています。
人口が減れば市場も縮小するので多くの労働力を必要とはしなくなります。女性の労働参加率を高め、定年を延長すれば労働力の不足など起こり得ません。
現時点でも日本の労働力は余っているのです。求人に人が集まらないのはブラック企業だからです。
労働力不足は雇用環境の改善など労働者にとってはメリットの方が大きい。「労働力不足」を心配するのは過剰な就職活動やワーキング・プア等の問題がなくなってからにすべきでしょう。

「財政が破綻するぞ」

「国の財政問題を解決するために人口を増やせ」と言うのは「国の借金を返すためにお札をジャンジャン刷れ」と言うのと同じくらい頭の悪い発想です。次世代にツケを回す分、もっと悪いでしょう。
それはまったく子供のためにはならないし問題を先送りしているだけです。
仮に出生数が3倍に増えたとしても、その子供達が老人になる頃には国の借金は減るどころか3倍以上に増えているでしょう。
問題は借金体質なのであって、少子化を問題視するのは単なる責任転嫁でしかありません。

「昔に比べたら今が一番良い時代だよ」

昔が酷すぎたのです。人類史の99.9%は全くもって悲惨な状態であったと評価できるでしょう。昔よりマシなだけでまだまだ悪いと言えます。
今の若い人はネットのない時代に生まれたいとは思わないでしょう。ほんの数十年前ですら現代人には我慢できない様な生活でしかなかった。
未来の人間も現代を「こんな野蛮な時代には生まれたくない」と評価するのではないでしょうか?

「未来はバラ色なんだよ。文明が進歩すればあらゆる苦しみをなくせる。それまで人類は我慢するべき」

人類はバラ色の未来を築くために努力するべきではありますが、それは「今生きている人間」が幸せになる為であって「まだ存在しない未来人」のために今生きている人間やこれから生まれてくる人間を犠牲にする事は正当化できません。私たちは捨て石ではないのです。
文明が進歩してもこの世界から苦しみがなくなる保証はない。「道半ば」と言われて永遠に待たされるのは御免です。期限は設けるべきでしょう。
理想世界の実現の為に「文明を前進」させつつ同時に「反出生主義」も全力で推進すれば良いのです。反出生主義によって人類が自主的に滅んだとしても最速で1000年はかかるでしょうから十分な猶予があります。
理想が実現すればその時点で反出生主義は消滅するでしょう。できなければそのまま滅びるのが最善です。
人口が減ると文明が十分に進歩できないなどと言うなら、犠牲が大きくなりすぎるのでやはり滅んだ方が良い。
超文明による「苦しみのない世界」が実現しなくても、反出生主義によって苦しみはなくせるのだから両者は本質的に等価です。ですから文明発展のために反出生主義を放棄する事はあり得ません。

「社会を変えれば不幸な人間は減る」

資本主義に対抗した共産主義の実験は既に失敗しています。ピケティによれば格差は通常、常に拡大し続けるそうです。これは構造的な問題なので解消するのは極めて困難です。
北欧型の社会は比較的成功していますが、全ての国が北欧の様にやれる訳ではありません。社会を変えるのは難しいし変えた所で良くなるとは限らない。
生涯を「革命家」として生きるのは幸せな事でしょうか?偽りの希望にすがって不可能に挑戦し続けるのは一つの悲劇です。
我々は自分にできる事をやれば良いのです。革命は「できない事」であり、反出生主義は「できる事」です。

「社会問題は社会政策で取り除くべき。反出生主義は努力を放棄している」

社会改良と反出生主義は両立できますし両方すべき事です。
しかしながらエゴとエゴがぶつかる実社会は中々進歩せず、それどころか後退すら起こり得るのです。
解決すべき社会問題が10個以上あるとして、我々が生きている間に解決されるのはせいぜい2,3個でしょう。
人口過剰によって生じる問題もあるので人口を減らす以外に解決策がない場合もあります。
改善の努力はすべきですが「子供を作らない」以上に現実的で具体的な手段がないのも事実です。

「社会を良くするためには人手が必要」

社会を良くする必要があるのは今の社会に悪い部分があるからです。悪い社会によって生じる苦痛を取り除くために我々は社会を良くしたいと望む。
社会を良くするためには必然的に改良前の悪い社会で生活し、苦痛に晒される必要がある。
より良い社会とはそうやって先人たちの犠牲と汗と涙の上に築かれる物なのです。

生まれてさえ来なければ社会を良くする必要もないし、最初から苦しまずに済む。
人間は社会を補修するための道具ではありません。人間の幸福のために社会があるのであって、社会のために人間を生み出すのでは本末転倒でしょう。
わざわざ新しい命を生み出さずとも今生きている人間だけで社会は進歩させられます。

「加害をせずに生きる事はできない」

反出生主義は既に生まれてしまった人間の命は尊重します。生きる上での最小限の加害は仕方のない事です。
生きる上で加害しているからと言って「一人殺すも二人殺すも同じ」とばかりに全ての悪を容認する訳にはいきません。別に子作りしなくても生きる事はできるので、それとこれとは別問題です。
生まれなければ加害も起きない。出産は子供に対してだけでなく世界に対する加害でもあるのです。

「人類が消えても他の生物が繁栄して苦しむだけ」

人間社会には自然界とは別の苦しみがあります。人間は長寿で動物は短命です。生涯の苦痛の総量で人間は動物を上回っているかも知れません。
ホームレスの生活は惨めに感じますが野良猫や野生動物を惨めだとは思いません。人間も子供は楽しそうです。それと同じく寿命の短い動物は人間ほど不幸を感じてはいないでしょう。

野生動物と人間の比率は1:99です。人は科学の力で自然が賄える以上の人口を養っています。人間が消えた後の自然界の不幸の総量は人間の不幸の総量を上回る事は決してないのです。

人類は鉄の原料などの資源を使い果たしているので、もし新人類が誕生しても鉄器文明まで進めないと言われています。鉄器がなければ現生人類ほど繁栄するのは不可能なので新人類の心配をする必要はありません。そもそも殆どの類人猿も人類のせいで絶滅寸前です。

「マルチバースで宇宙は永劫回帰するから反出生主義は無意味」

もし別の宇宙に生まれ変わっても、その世界での苦しみをなくす為に何度でも反出生主義を繰り返せば良い。人生こそ無意味です。
降りかかる火の粉は払わねばならない。マルチバースが正しくても反出生主義の正しさは変わりません。

「本当に絶滅したら最後の世代が苦労するじゃん」

もし人類が自発的な絶滅に同意するなら、人類最後の世代はその名誉に喜びを感じている筈なので決して悲惨な最期とはならないでしょう。
人口減に合わせて人類の住処を集約し、文明を維持していけば例えば100年以上の耐久性のある住居やサバイバルキット、ロボットなどを用意しておく事で最後の世代も文化的な生活を送る事は可能です。
人類が悲惨な絶滅を迎えるのは反出生主義を受け入れず、人口が最大の状態で不測の事態が起きた場合なのです。

「死ぬ選択肢はあるのだから勝手に産んでも問題ない」

例え安楽死の制度があったとしても自ら死を選ぶ時点でその人の生に深刻な危害が存在するのは明白です。
それほどの危害を受ける原因を作った親の罪が消える事は決してありません。子が自死した場合、その責任こそ重大です。
「生きるのが嫌なら自殺すれば良い」などと言い放つ鬼畜に親になる資格はありません。

「俺は嫌な思いしてないから。自分の幸せの為に生むし、子供が死んでもなんとも思わん」

それはエゴイズムであり、倫理に反します。あなたが子供を作るのを止める事はできませんが、誰も悪人の子供なんて望んでいません。

以上。なお反出生主義への反論は随時受け付け中です!